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慣れれば「あがらなく」なるのか?!

ピアノを勉強している人にとっての永遠の課題というか、人前で演奏する機会が多い人にとっては、本番でいつもと同じ実力が出せるか出せないかというのは切実な問題だと思います。

ちなみに私自身、もし「あなたは本番では練習と比べてどのくらいの実力が出せていると思いますか?」と訊かれたら、たぶん長い間「50%くらい」と答えていたと思います。ようやく最近になってもう少しこのパーセンテージは上がっていると思いますが、それほど本番で力が出し切れないなといつも思っていました。実は私がそうだったのは、いわゆるメンタルな部分(精神的な動揺など)によるものではなく、多くはフィジカル(物理的なこと)な部分によるものが理由であったことが多いです。つまり、本番時に手に汗をかいて指が滑るとか(笑)、ピアノの鍵盤の感触やタッチが違うとか、自分の出す音がホールでは全然違うふうに聴こえて最初はなかなか調子が出ない、あるいは指がすぐに思うように動かない…などというようなことです。

ただ、どうやらピアニストの中には本番でも練習時とほとんど変わらないか、逆に本番でこそもっと実力が出せると思っている人もいると思います。そういう人はもう生まれながらの才能なのだというしかありません。

ただ、慣れというものは恐ろしいというか、嬉しいというか、本番経験を積めば積むほどだんだんメンタル面でもフィジカル面でも大きな問題が起きなくなってくるものだと思います。

メンタル面で「あがる」という人は、やはり異常に緊張している場合が多いと思いますが、その理由の第一位に来るのは、まず間違いなく「練習を完全に終えていない気がする」というものでしょう。つまり「今日の本番に間に合わせられなかった!」というあの感覚です。これは当日はもうどうすることもできませんので、本番直前にそう思った場合にはもう腹をくくって「ほどほどの演奏で良い」と割り切って弾くしかありません。実は偉大なピアニストたちだって、毎回の本番で完璧に弾いていたわけではなく、けっこう不十分な練習で本番に出ていたり、「かなり酷かった」などとあとで批評や本などでも書かれるほど悲惨だった演奏をしたという話もたくさんあります。そういうことを知れば少しは心も安らぐでしょう。

ただ、やはり練習、つまり準備だけは納得のいくところまでしっかりやっておくことが大事だと思います。特に現代の忙しい時代には、練習時間を確保することが難しくて困っている人が多いと思います(プロも含めて)。だからこそ、ここを優先的になんとか守り切るというのが第一。あとは、本番でどんな精神状態になっても明るくやり過ごせるように、普段から心の準備をしておくということも必要だと思います。
それから、自分が人前で「あがる」ということは自分がどう見られるかについて過剰なまでに意識しているということもあるかもしれません。まあ普通、人間は誰でもそうだと思うので仕方ないと言えばその通りなのですが、もう少し達観して音楽そのものに集中するとか、自分のことはあまり考えないとか、逆にこれまでたくさん経験を積んできたことに対して自信を持って本番に望むようにすれば、まあまあの結果を出せるのではないかと思います。少なくとも、慣れてくればもう理由なく「あがる」ということはなくなると思います。

本番前に呼吸を整えてステージに出れば、心臓がバクバク鳴るなどということは一切なくなるでしょう。私も演奏前にそういうふうになることはさすがに今ではもうありません。ただ、先日のバッハコンクールの表彰式での審査員講評の時に、事前に「私は今日は講評を喋りませんから(長くなるし)、他の先生方でお願いしますね!」と何度も言っていたにも関わらず、「審査員の先生方全員からひと言お願いします」ということで振られた瞬間に、はからずもステージ上でビックリして心臓がバクバク打ち始めたのを感じました。しかも心臓の鼓動が大きくなると、それを聴いてさらに動揺するものですね。(笑)
久しぶりにそんなことを経験して、「あがる」という気分を思い出してしまいました。加えてその日、自分が何を喋ったかまったく覚えていません。直前まで何も考えていなかったから当然ですが、悲しいものですね。何か良いことを喋ったような記憶もありますが、そうではなかった可能性もあります。(笑)

何事も準備が必要ということです。準備さえしっかりできていれば何でも「喜びを持って」こなせることと思います。
ただ、現実にはそれがなかなか難しいから困っているとも言えるのですが…。

| Copyright 2017,02,08, Wednesday 06:13pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

エチュードについて

先日のカワイ名古屋での公開講座で私の「エチュードについての考え方」をまとめてみました。

結論的には、「チェルニー30番練習曲をひととおり終わった人なら、もうショパンのエチュードが(易しいものから順番に)弾ける」ということを言う先生も最近は多いのですが、私もまったく同感です。現代では、やはりピアノの勉強においてもあらゆるジャンルのレパートリーを数多くこなさなければいけないので、エチュード(練習曲)としてやるならチェルニーは30番練習曲のみで十分。私はエチュードを「ショパン以前」と「ショパン以後」のものに分けて考えますが、少なくとショパン以前のエチュード(チェルニーはショパン以降にも生きたがそのスタイルから「ショパン以前」とみなす)に関しては、ほぼ何もやらなくても大丈夫という持論を展開しました。ただ、知識としてはもちろんクレメンティの「グラドゥス・アド・パルナッスム」やモシュコフキのエチュードをいくつか知っておく(弾いておく)くらいは良いでしょうし、他のエチュード(ブルクミュラー18、12の練習曲、クラーマー等)について少し知っておくくらいは必要かもしれません。教える側にとっては、もちろんひと通りは楽譜を持っていて良いかと思います。

テクニック的な問題を解決するには、私としては純粋に今も「ハノン」を勧めたいと思います。ただし、講座の中でも言いましたが、ハノンをちゃんと目的意識を持って使いこなせるのは高校生から大学生以上だと思います。良い先生についていれば、それ以下の年齢の人でも良い練習はできると思います。何も考えずに番号だけこなしていくのはあまり意味がないやり方です。

私が勧めるハノンの練習方法はちょっと変わっているのですが、それはまず「中くらいのテンポで弾くこと=1~20番なら4分音符=60くらいで十分」「mfでくらいで弾くこと」「疲れたらいつでも休み、またすぐ弾き始める~その方法で1番から60番まで弾くこと」などがありますが、まあ最後の「全部を弾く」というのは実行しなくても構いません。ただ、『重音のトレモロ』と『オクターブ』は本当は極めて重要で、それらが最後の50~60番に集中しているのも事実なので、最後のほうはすべてを省略したらあまり効果は望めないと思います。

その上で、ハノンを練習する際に「ここに注意して練習すればとても効率的で非常に高い効果が望める」として紹介したのは、次の5点です。

①指先に注意(内側に引くように使う)
②打鍵した後すぐに脱力をする(打鍵後すぐに手首を上方へ抜き脱力を確かめる)
③腕に注意しながら弾く(力を入れて弾くと腕が固まっているのですぐわかる)
④音を揃える(特に第一音の両手の音が揃わない、重音の場合もすべての打鍵時にすべての音を揃える)
⑤音楽的に弾く(フレーズ感を持って弾く=レガート中心、当然かなり微妙な強弱表現は伴う)

これらに注意してハノンの1番から60番までお好みで(自分に必要だと思われるものを抜粋して)毎日弾くと見違えるようにテクニックが変わります。数ヶ月も経てば、もう曲の中で部分練習というものをしなければ到底ちゃんと弾けなかったという自分を思い出すことができなくなります。


先日の講座では、西川凌君(大3)と椿田和樹君(中1)という非常に才能に恵まれたお二人がモデルレッスン生として登場して、二人ともそれぞれショパンのエチュードを見事に弾いてくれました!

| Copyright 2016,07,21, Thursday 08:26pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

オレグ・ポリャンスキー公開講座in東京・愛知

ピアニストの菊地裕介さんが主催している企画で、「奇跡のロシアンピアニズム」と銘打っての公開レッスン、レクチャー、ソロリサイタルのイベントを紹介します。来月です。

菊地裕介さんが一押しのピアニストのオレグ・ポリャンスキーがそのピアニズムを伝授してくれるまたとない機会だそうで、これは内容を見ると確かにピアノを本気で勉強している人にはかなり得するイベントではないかと思います。これだけの内容でこの値段は本当に安いと思うので多くの人にお勧めします。
東京ではかつしかシンフォニーヒルズで3月11日、愛知は名古屋市と豊田市で3月12日と13日に行われます。
詳しくは以下のサイトでご覧ください↓
http://everevo.com/event/28843

上のサイトにて、ポリャンスキーのプロフィールやリサイタルプログラム等、このイベントの全容を見ることができます。チケットの購入もできます。

| Copyright 2016,02,21, Sunday 12:07pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

「エチュード(練習曲)」再考

エチュードと聞くと、一般的には「指を鍛える」とか「演奏技術を高める」ために作曲された作品というイメージがあるでしょう。ハノンのようなものを思い浮かべる人もいるかもしれません。

ピアノの作品ではショパンのエチュードを知らない人はいないと思いますが、ショパンのエチュードが単にそのような目的で作曲されたものでないことは誰でも分かると思います。純粋に芸術的価値の高い音楽です。それに追随して他の多くの作曲家も、技巧的な内容を含みつつも、音楽的に素晴らしいエチュードをたくさん作曲しました。

では、ピアノを勉強していくにあたって、これらのエチュード作品をどのように使うべきでしょうか。もちろん皆さんがよく弾いてきたブルクミュラーやチェルニーもエチュードではありますし、ロマン派以降には必ずしも技術を上げるという目的だけではないエチュードの名を冠した作品もあります。「演奏会用エチュード」という名の作品は、もはや「練習曲」という位置づけでは語れないでしょう。

そのように古典の時代から現代までさまざまな作曲家によるエチュード作品がありますが、エチュードには充実した素晴らしい作品が多いのです。それは、きっと作曲家たちが楽器の演奏技術に制限を設けずに、あるいは独創的で新しいテクニックを盛り込んだり、初心者でも弾きやすいようにと音楽を簡略化したりせず、とことん芸術性を追求した結果として傑作が多く生み出されたからかもしれません。

私がそれを強く思ったきっかけは、3年前にイタリアのペルージャ音楽祭に行った時に企画されたコンサートの一つ「エチュード・マラソン」を聴いたことです。世界中から参加した若いピアニストたちが演奏をしました。この演奏会のタイトルは、いかにも技術を競うというようなニュアンスに聞こえがちですが、実際のこの演奏会の内容は、いくつかあったコンサートの中でも秀逸だったのです。1人が1曲ずつ自分の得意とするエチュード作品を次々と披露していくというスタイルのコンサートでしたが、音楽とは、そしてピアノを演奏するということはこんなにも素晴らしいものか!と感じ入りました。ある人は、純粋に高度なテクニックを伴った楽曲を披露する、ある人は音楽への思い入れが強くその作品の美点を自分の感性でアピールする、ある人は叙情的なエチュードを選曲し、またある人はあまり演奏されることのない珍しい作品を披露する…、私の生徒も彼らに混じってカプースチンのエチュードなどを弾いたと記憶していますが、あらゆる作曲家の個性的なエチュードが素晴らしい輝きを持って心に響いてきたのでした。それまで私はエチュードというものに何の偏見も持っていなかったはずなのですが、その日のコンサートを聴いて自分の持っていたエチュードの概念がガラッと変わってしまいました。欧米のピアニストたちの「エチュード」に対する考え方は少し違うのではないかと思いました。

ともあれ、難しいエチュードは簡単には弾きこなせないのは確かです。ある音楽的欲求を実現するために高度な技術が必要というのは本当だと思います。だからこそ、数あるエチュード群を一定のレベルで制覇することは、ピアノの演奏技術の向上に欠かせないと思います。

そこで、エチュードとはいったい何なのか。作曲家たちはどういう目的で作曲したのか。なぜ魅力的な作品がこんなにもたくさん作曲されたのか。エチュード作品はピアノの勉強でどのように使っていくべきなのか。これらについて考えてみました。

そのような経緯もあって、来たる8月20日(水)にカワイ名古屋で『エチュード』に新たなスポットを当てる内容の公開講座を行うことになりました。
詳細はこちらです→
http://shop.kawai.co.jp/nagoya/lecture/kawakami.html

ピアノ音楽史の中でエチュードが果たした役割について、少し踏み込んで考えてみたいと思っています。ただ、当日は公開レッスン形式で行うことになりそうなので、内容はどのようになるかまだ分かりません。でも、あらためてエチュードの勉強の仕方について皆さんと一緒に考えてみる機会にしたいと思っています。

ハノンについても、まだまだ誤解が多いのではないかと思います。ハノンはたしかに芸術的な曲とは言えないでしょう。指を作ることを目的としたいわゆる「練習曲」です。ただ、使い方によっては無限の価値があると私は思っています。それに対して、チェルニー、クラーマー、クレメンティなどは、練習曲ではあるけれども音楽的な曲として書かれています。ブルクミュラーは私は純粋に音楽的だと思いますが、あれも作品としてはエチュードです。

エチュードについては、これまで知られていなかったこと、またあまり深く考えずにピアノの練習の教材として使われてきたことも多いと思います。ハノンについては、あの60番練習曲がどのような経緯で作曲されたとか、ハノンがどういう人だったかなどに興味を持たれたことはなかったのではないでしょうか。私はハノン(練習曲)の価値には敬意を評しているものですが、日本語の文献では不思議なくらいにハノン(作曲家)について知ることができるものが見当たりません。(外国語の文献ではいくつか分かるようになってきました。)

あるいはチェルニーについてもこれまでは多く誤解されてきましたが、最近は多くの詳細な情報が得られるようになりましたし、ブルクミュラーについても、あの有名な『25の練習曲』の素晴らしさと比べると、作曲家としては不当なまでに認知されていない、というか、ほとんど知られていないという事実がありました。でも、ブルクミュラーに関しては、最近『ブルクミュラー25の不思議~なぜこんなにも愛されるのか』(音楽之友社)という本を書いて出版してくださった飯田有抄さんと前島三保さんのお二人のお陰で、人としてのブルクミュラーやその作品に関して詳しく知ることができるようになりました。この本を読むと、『バイエルの謎』(音楽之友社)を読んだ時と同種の感動が得られます。



ブルクミュラーに関しては、『25の練習曲』『18の練習曲』『12の練習曲』の3つの作品だけを見ても、演奏を聴いたり楽譜を見て弾いたりしてみると、なかなかの力量を持つ作曲家であることは分かると思います。なぜ『25の練習曲』はこんなにも飽きられることなく多くのピアノ学習者たちに弾かれ続けているのか。それは音楽が素晴らしいからだと思うし、やはりバランス感覚やセンスが光っています。今後ほかにどんな教材が出てきたとしても、まだまだ不滅の名作ではあると思います。やはりブルクミュラーも高い才能を持った作曲家だということでしょう。

少し長くなってしまいました。
そのように、あらゆる作曲家のエチュードについて一度スポットを当ててみて、新たなピアノ演奏の技術向上のための視点を提示してみたいと考えています。

| Copyright 2014,06,04, Wednesday 06:10pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

良い練習に向けて①「頭を働かせて練習する」

今月20日に発売されたばかりの「ムジカノーヴァ」(音楽雑誌)12月号に、今回は暗譜に関する特集ということで、「暗譜の事故多発地点~その原因と対策」というタイトルの私が書いた文章が載っています。ご覧いただければ嬉しいです。



今回の原稿の内容に関連して、ピアノのための「良い練習の仕方」を他の観点からあらためて考えてみたので書いてみたいと思います。

暗譜も確かに頭を働かせなければできないものですが、演奏そのものにもやはり頭を使うものです。実際には、ピアノを弾く人はたくさん練習しなければいけないので、あまり頭を使わなくても反復練習しているうちに弾けるようになってしまいます。だから、どちらかと言えば感性だけで弾いている人も多いと思います。練習の際にも、頭を使うよりは指の練習をしたり、「弾き込む」ことを重視している人が多いと思います。感性で弾いている部分が9割で、知的な部分、頭を使っている部分が1割という感じでしょうか。あまり意識しなければそうなるのではないかと思います。私の考えでは、これを逆にすればもっと練習の効率も演奏自体も良くなると思うのです。もちろん、曲が弾けるようになったら音楽に没頭することも必要なので、必ずしもピアノは頭脳だけで演奏するべきものではないと思います。でも、練習の際にはやはり9割は頭の方を働かせようと意識すると、その効果はとても大きいものです。

頭を働かせるとは具体的にどういうことでしょうか。
ピアノを弾こうとすると、まず譜読みをするわけですが、最初は音やリズムを正しく読んで実際に指を運んで弾けるようにしていきます。そしてその次の段階で、どのようなことに注意して練習するべきか、大事なことを挙げておきます。

①曲の構成を知り、細かい音に至るまで頭で理解して弾くこと。
②アーティキュレーションを正しくできるようにすること。その際に、各指の位置や手首の角度、手のあらゆる部分を正しく使えているか=そのフレーズにふさわしい力のかけ方と抜き方ができているかを意識すること
③ハーモニー進行に意識を向けること
④指使いを意識して弾くこと。

一般的にピアノ学習者に軽視されていると思われることを4つ挙げてみました。上の4つについては詳しい説明が必要だと思いますが、まずは項目だけ書いておきました。
これらについて、また次回詳しく書いていきたいと思います。

暗譜に悩んでいる人にとっては上のことは特に重要で、これらは自分で練習する際に普段から意識すると良いでしょう。その上で、あとは本番に向けての準備の仕方や、ステージ上での気持ちの持ち方などいろんな秘訣があるかと思います。

最新号ムジカノーヴァの論考と合わせて参考にしていただけると嬉しいです。

| Copyright 2013,11,23, Saturday 10:21am kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

良い演奏家の条件②「モチベーション管理術」

ブログに以前も少し書きましたが、モチベーションの管理がいかに大事かということについて書きたいと思います。「やる気をどう持続させるか」という問題はどんな人にも関わることですので。

誰にでも、調子が良くて楽しくて仕方がない時もあれば、逆に面白くなくなったりやる気が出ない時が必ずあると思います。ピアノの練習にも「飽き」が来る時だってやはり誰でもあるでしょう。人は同じことを単に何年も何十年も続けられるものではないですから。気分が乗らなければ何もする気にならないというのは、子供でも大人でも同じだと思います。試験がなければ多くの子供は勉強しないでしょうし、人前での本番がなければ楽器を練習する気が起きないというということもあるでしょう。

だから、突き抜けている人というか、本当にスゴイところまで行った人というのは、やはり自分のモチベーション管理が上手いのだと思います。ピアノが好きで好きで仕方がなく、何十年もやっていて一度も嫌いになったことなどもなく、スランプもなく、毎日毎日弾き続けていて本当に飽きないという人は、それだけで才能があるといえるかもしれません。演奏家に限らず、どんな職業の人にも稀にそういう人はいると思います。
ただ、普通は同じことをやっていればモチベーションはだんだん落ちてくるものでしょうから、常にフレッシュな気持ちを保つためには自分をやる気にさせ続ける才能が必要です。ここが上手くいけば何でも成功できるような気がします。

例えば、英語を身につけたいと思っても、学生時代はそれなりにいろんな試験があるから勉強するでしょうが、社会人になってからさらに数十年にわたってずっと勉強し続けるとしたら、やはり目的がなければ続かないと思います。実際に英語を使う仕事に就くとか、1ヶ月後に外国人と二人きりで1時間喋らなければいけないとか、現実的な必要に迫られる環境を何か創り出すことが必要です。例えば留学というのもそれなりに厳しい環境が得られる選択でしょう。
私は昔どうしてもフランス語を身につけたかったため、まずはそれより少し易しいスペイン語(これも重要だと思ったので)を独学で身につけようとしました。そして、そのためにたぶん数千時間は勉強したし、留学中にはスペインに何度か実際に足を運びました。ただ、それ以降スペイン語を使うことがなかったため、現在のところモノになっていません。そのために使った時間のことを考えるとすごくもったいないと思うのですが、それだけモチベーションの持続は難しいことなのです。(フランス語はその教訓を活かして失敗せずに済んでいますが。)

例えばピアノが好きであるなら、それを本気で押し通していくために、続けるための工夫をいろいろ考える必要があると思います。勉強と同じです。「好き」だけでは上達するものでもないし、長く続けられないのも事実だな、と思います。
自分がピアノを続けることの正当性というか(大げさですが)、自分のやっていることに対して深く納得していることも大事です。でも、納得するしないにかかわらずどうしてもやり続けたいというなら、それをしなければいられない環境を自分にどんどん与えていくに限ります。人それぞれに違うと思いますが、自分なりのモチベーション管理術を研究し続けることは、将来も絶対に役に立っていくと思います。

| Copyright 2013,11,06, Wednesday 08:05pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

良い演奏家の条件①「響きを聴く~強弱表現」

昨日の公開レッスンに特に関係があるわけではないのですが、最近いろんな人の演奏、特に日本人の演奏(大学生も含めて)をこれまでずっと聴いてきて考えたことの一つを書いてみたいと思います。
日本人の演奏は昔から「薄っぺらい」「誰もが同じような演奏」などと言われてきましたが、その理由が最近になってわかってきた気がします(ちょっと遅すぎますが…)。

欧米人に比べれば、日本人(アジア人の中でも特に)は、自分の思っていることや感じたことを表現することを一般的に憚る傾向は強いと思います。それ自体が演奏家のような表現者にはたしかに不利であるとは言えると思うのですが、それ以外にもあるように思います。

ホールなどで演奏を聴いて、多くの人が「上手いなあ~」と思う演奏家は、自分の楽器を自由に操っていて、そして技術においても表現においても高い能力を持っている人たちだと思います。聴衆からよく「音がきれい・音が美しい」などという感想を聞くことがありますが、それは鍵盤のタッチの問題だけでなく、演奏者が音の響きをどのように聴いているかが決定的なポイントだと思います。これはピアノであれば、ペダルの使い方とその技術にも関係があるし、広い会場の響きをちゃんと聴いているか、あるいは、自分の出した音が会場にどのように響いているかを想像できる(自分の耳には必ずしもお客さんとは同じようには聞こえない)かどうかが鍵を握っています。

日本人の演奏は、強弱表現が弱いということをとても感じますが、それはおそらく、練習場所が狭い部屋である場合が多いし、あるいは学校などのレッスン室でもそんなに響きの良い空間ばかりではないからでしょう。普段から、豊かな響きに囲まれた音を耳で聞いていないと、表現意欲が薄れてしまうのだと思います。例えば、がんばって「クレッシェンド」をかけても全然クレッシェンドに聞こえないというような環境で普段はピアノを弾いているのです。
本当に素晴らしいホールで音を鳴らすと、たった1音でも全然違います。そこに良い響きが加わります。そしてさらに1音鳴らすと、そこに歌が生まれます。聴いている人はただちに引き込まれます。良いホールでは、響きがすぐに立ち上がってきたり、逆に、非常に美しく消えて行ったりします。ほんの少しクレッシェンドをかければただちに響きに厚みが増し、ディミヌエンドをかければハッとするような表現に感じられ息を呑みます。上手な人が演奏すると、音に絶妙な陰影が生まれて、聴いている人は音楽に強く引き込まれていきます。

ホロヴィッツは一時期、あまり知られていないかもしれませんが、弟子をとってレッスンをしていたことがあります。彼が若いピアニストに対してどんなレッスンをしたか、明らかに他の先生と違ったことは、「広いホールで実際にどう響くか」という観点からのみ生徒の演奏を聴き、それに対してアドヴァイスをしていたということです。コンサートピアニストとして、比類のない経験に裏付けられた耳を持つホロヴィッツは、コンサートピアニストにとって理想的な音の聴き方や奏法というものを教授したことでしょう。たしかにホロヴィッツの演奏は録音を聴いてもその凄さはわかりますが、実際の生演奏を聴いた人に聞くと、その音色の多彩さや音の繊細さ、またその迫力には、とても録音とは比べることができないほどだったと言います。

一口に強弱法と言いますが、それは音楽表現にとってすごく重要な鍵を握っていると思います。素晴らしいピアニッシモを聴けば、それはこの世のものとも思えないような世界が展開することもあります。逆に、オーケストラで演奏されるような巨大なクライマックスをピアノで表現しなければいけないこともあります。そのように、音の響き一つで聴衆を素晴らしい世界に引っ張って行くことが可能です。

日本という風土では、西洋音楽の楽器はあまり適していないのかもしれません。ヴァイオリンやピアノの音が夢のような素晴らしい響きに聞こえた、という瞬間は持つことは稀です。ヨーロッパにいると、それはとても頻繁に感じることなのですが…。でも、少しでもそういう耳を養おうという意識を持って自分の音を出すようにしていくと、きっと音に対する向かい方が変わっていくように思います。

| Copyright 2013,10,27, Sunday 05:58pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

バッハのピアノ曲(2)

先日、清水和音さん(ピアニスト)と話していて、彼は最近聴きに行ったという外国人のある若手ピアニストを絶賛していたのですが、その人のレパートリーは、フレスコバルディなどバロックでもかなり古いほうの作曲家と、あとはベリオなど前衛というか現代モノだけだったとか。それがまたとても素晴らしかったということらしいのですが、レパートリーとして見ると、古典派からロマン派~近代というあたりがすっぽり抜けていて、ルネサンス~初期バロックとバリバリ現代しか弾かない(笑)らしい。たまたまだったのかもしれませんが、そんなピアニストもありという時代になったのかもしれません。

そうは言っても、クラシック音楽で重要なものはやはりバロックから古典派~ロマン派~近代あたりに多いことは事実でしょうから、引き続きピアノ曲のスタンダードな名曲というものを紹介していきたいと思います。

さてバッハの続きですが、先日挙げた曲はすべて最重要の作品なので、ピアノ学習者にはひととおりの知識と実際に演奏して指と耳で曲を一応知っていることは必須だと思います。
インヴェンションは、たったの二声で書かれていますが、右手と左手が別々のことを鍵盤上で行なうのは初級者にはなかなか至難です。旋律を「歌う」ということは、そこに内的な強弱表現が生じなければいけませんが、両手で別々の独立した感じ方をしなければいけないのです。つまり、まるで二人の別人が演奏しているように、フレーズも強弱も自分の思うようにコントロールできなければならないわけです。これがピアノを弾く上で最初に誰もが通る難関です。しかも、すぐその先には「シンフォニア」という三声を同時に扱う曲を勉強しなければならず、たった2本の手で三声を処理するというのは、私自身が子供時代に感じたことですが「これは絶対に無理だ」と思いました。(笑)
それでも人間というもの、熟練していくうちに信じられないことがだんだんできるようになるのですから不思議なものなのですが。

バッハを理解するには、やはりカンタータや受難曲のような声楽やオーケストラを伴う作品、宗教音楽の数々に触れていなければいけないでしょう。そして、オーケストラがどのように使われているか、またコラールや大規模な合唱曲の持つ響き、パイプオルガンの音色が生み出す雰囲気と多彩さなどが、無限の広がりのある音楽として頭のなかに鳴り響いてこなければいけません。たとえ純粋に器楽曲としてチェンバロを想定した楽曲であっても、そのような音楽的宇宙の広がりを自分の中に持っていなければ豊かな表現力は生まれてこないと思います。

無伴奏チェロ組曲のように、たった1本の弓でチェロを演奏しても複数の楽器で演奏されているような効果を生み出すことが必要とされるように、ピアノでもオーケストラのあらゆる楽器が聞こえてくるように演奏しなくてはいけない曲はたくさんあります。例えば、全48曲の「平均律」の中にもさまざまな曲種が散りばめられいて、奏者に豊かな音楽体験がなければ、すべての曲を魅力的に弾くことは難しいように思います。

バッハは、1713年頃にはヴィヴァルディなどイタリアの作曲家からも影響を受けて、作風に新しい要素が加わって音楽に魅力が増してきます。ピアノ学習者にとっては「イタリア協奏曲」は重要なレパートリーです。この曲は音楽的にも素晴らしく、そうしたイタリア的なものを典型的に学べる曲です。いわゆる、協奏曲風の雰囲気=Tuttiとソロが交代して進んでいく(ヴィヴァルディの「春」など思い浮かべると良いでしょう)音楽が持つ躍動感は独特のものです。これは古典派以降の音楽にはあまり出てこないものです。その種の音楽は、バッハのこの曲で勉強しておくのが良いでしょう。つまりクレッシェンドやデクレッシェンドを伴わなずにfpを交代させるような強弱法、つまり階段状の強弱法(Terrassendynamik)の概念が必要なのですが、この強弱法さえちゃんと理解している人は少ないのです。頭で分かっていても、バッハの管弦楽組曲を聴いたり、バロック音楽の、それも特にこういうイタリア風の協奏曲形式の音楽をたくさん聴いた経験がないと、ピアノで演奏する際に自分でその雰囲気を表現することはできないのです。だから、たくさんの音楽を聴く経験が大事なわけです。モーツァルトのピアノ協奏曲やオペラの序曲などには、このイタリア的雰囲気はよく現れます。ベートーヴェン以降にはほとんど現れません。

バロック音楽特有の表現はバロック音楽でしか勉強できないものがありますが、それは決してその後の時代の作曲家を演奏する際に必要なくなるものではありません。やはり順を追って、知識的にも経験的にも勉強しておかなければいけないものがあります。そういう意味では、やはりバロック時代の多様なエレメントを持つバッハの作品は、現在のところ避けて通れないものがあるのではないかと思います。

| Copyright 2013,04,13, Saturday 07:25pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

バッハのピアノ(クラヴィーア)曲

世界中のピアノ学習者がとても頻繁に演奏する、あるいは、必ず勉強するというピアノ曲レパートリーというものを考えてみたいと思います。ピアノのための音楽は今も増え続けています。もちろん同時代の作曲家による作品も出版されていきますが、過去の埋もれていた作品が発掘されるケースも多くなりました。いろんな条件が重なって、今まで誰も知らなかったような作品にまでアクセスできるようになりました。

ただそういう時代ではありますが、その中で誰もが名曲とみなして演奏し続けている作品、これは世界のピアニストたちがよく演奏するレパートリーと一致しているわけですが、それはかなり限られた範囲に収まります。その中には、ピアノを勉強する人が必ず通らなければいけない作品もあり、あるいは古今の名曲あり、また音大の試験やコンクールでよく弾かれる曲とも重なっています。確実にあと数十年、ひょっとすると今から100年後も演奏され続けているであろう作品というものを考えます。主要な作曲家10人を取り上げてピアノ曲の紹介をしていきたいと思います。

まずはバッハから。
バッハには膨大な数の「クラヴィーア」曲が存在します。当時ピアノという楽器はまだ発明途上できちんと存在しなかったと言っても良い時代だったので、オルガン曲以外はおもにチェンバロで演奏されていたと思います。それを現在のピアノ学習者は当然ながらピアノで演奏します。ちなみに、クラヴィーア(Klavier)という語はドイツ語では今では普通に「ピアノ」のことを指します。ピアノ曲の楽譜は、現在市場で手に入る楽譜はかなりの範囲を網羅していますが、実際にメジャーなものとしては以下の作品あたりでしょうか。

・インヴェンションとシンフォニア
・フランス組曲
・イギリス組曲
・平均律クラヴィーア曲集(第1巻・第2巻)
・6つのパルティータ
・イタリア協奏曲

これ以外にも、「ゴルドベルク変奏曲」や「半音階的幻想曲」など、タイトルも有名でよく知られている曲はありますし、音大のピアノ科学生がよく取り上げる特定の作品もあります。でもそれらは誰もが取り上げる作品とは言えません。また、もっと易しい曲集もありますが、演奏会で取り上げられないものは除外します。上の作品群も、決してすべてが演奏会でよく弾かれるというわけではありませんが、ピアノの学習においては最重要な作品と言えると思います。

たったこれだけの上記のレパートリーですが、これをすべて弾いたことがある人は、よほどのバッハマニアかプロのチェンバロ奏者以外にはいないと思います。平均律だけでも、プレリュードとフーガで1曲として24の調性で2巻分48曲ありますから、音大のピアノ科の4年間、あるいは大学院まで含めて6年かけても全部を弾く人は普通いません。ただ、バッハ自身は弟子のH.N.ゲルバーに平均律全曲を3回も弾いて聴かせたという話が残っていて、それが一体どれだけ素晴らしい演奏だったか想像してみたくはなりますが、実際に自分で弾くとなるとかなり大変でしょう。音大のピアノ科学生でも、4年間で「平均律」は半分こなせれば十分かもしれません。ただ、楽譜上での勉強ということなら音源を聴いたりして全曲に通じることは可能です。

バッハは、教育的立場から自分の曲集を効果的に使い、インヴェンション(とシンフォニア)からフランス組曲、イギリス組曲、そして平均律へと段階を上げながらレッスンをしていたと言われています。現代でも、だいたいこの順序でバッハを網羅的にレッスンされている先生は多いと思います。「6つのパルティータ」は、かなり大規模な作品なので手をつけない人も多いかもしれませんがとても重要な作品です。

| Copyright 2013,04,12, Friday 10:03am kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

学生たちの演奏に思うこと

この時期、1月から3月にかけて実技試験の演奏を聴くことが多い(入試も含めて)ので、恐ろしいほどの人数の演奏を聴いていることになります。これだけたくさん聴くと、いろんなことを感じたり考えたりしてしまいます。

正直言って、上手い人もすごく多いです。最近は、特に東京音大だけで言っても、ピアノ演奏家コースの人のレベルは今もまだ上がり続けているように思います。すごく弾けるという人の人数が多いということと、そのレベル(テクニックも表現力も)自体が以前より高いと思われるのです。いろんな先生方が異口同音に言います。

ただ、上手な人も含めて私がいつも演奏を聴いて感じることは、日本の学生の演奏に関して思うことですが、一言で言って「線が細い」ということと「長いフレーズ感が感じられない」ということです。

「線が細い」というのは、音の厚みがないということでもあるし、音が一様な感じで、声部間に音色や音量の違いが少なく、立体的に聴こえず平面的に聴こえてくるということ。あるいは、音空間が広がらないというか、音楽を聴いていて気持ちがいいとか、音楽に酔うとか、強く惹きつけられるといった感覚を呼び起こすことが少ないということです。音量に圧倒されるということはありますが、厚みや立体感、色彩感を感じる演奏をする人は稀です。
音を鳴らして初めて聴こえてくる響きがあります。これを聴いて自発的な感覚を持って演奏しているかどうか、音を聴いた上で微妙な自分の中のバランス感覚を用いて、タッチやテンポや音量を調整することができているかどうか、という観点が大事だと思います。

欧米やロシアの人の演奏には、上手か下手かは別にして、それがはっきりと感じられるのです。これが大きな違いです。音の厚みがどうしても日本人の演奏には足りないものを感じるし、隣り合う二音間の引っ張り合う力が弱すぎるように思うのです。

「長いフレーズ感が感じられない」というのもこれに似た問題です。例えばロシアの作曲家の作品において、歌い上げられるべきメロディーが全然聴こえてこないのです。というか、そもそもまったく歌っていないように聴こえます。ある声部に明らかなメロディがあるのに、そのメロディを歌うことを完全に諦めているようなことがあります。かなりハイレベルの弾き手においてもその点はやはり感じることがあります。

自分の中で歌い始めると、自然にピアノの音も歌い始めるという現象は、私自身はヨーロッパで勉強している時に初めて経験したのですが、やはり日本では、風土というか響き方が日本独特のものがあって、本来的にやはり西洋音楽の楽器が理想的に響く空間ではないのかもしれません。やはり楽器はその国その国で発達したものだし、作品もそこで生まれたわけですから、これは根本的に仕方ないことなのかもしれません。

それにしても、この二点は日本人と欧米(ロシア)人の演奏の違いとして決定的にいつも感じる部分ではありますので、今後もピアノを演奏していく人は理解しておいて良い点かもしれません。

| Copyright 2012,03,04, Sunday 09:10pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

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