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エチュードは必要?不必要?

エチュード(練習曲)は、あらゆる楽器において教材が多く存在しますが、はたしてどのエチュードをどのくらいやるのが理想的なのか?という永遠の問題があります。エチュードはプロになっても必要なのでしょうか?
ピアニストになった人の中には、「私はハノンをまったく弾かなかった」とか言う人もいて、これについてはますます訳がわからなくなってしまう人もいるでしょう。できるならみんな楽をして楽器が上手くなりたいと思っているでしょうから、曲の練習だけでテクニックを身につけていくのが正しいという考え方を支持したくなってきます。

さて、エチュードは本当に誰にも必要なものなのでしょうか?
結論から言うと、私はやはり当然必要なものだと思っています。どの楽器にも基礎は大切です。管楽器や弦楽器でも、ロングトーンやボーイング、スケール練習などから始まって、簡単な音型の練習(ハノンのようなもの)、そしていわゆるエチュードもたくさんあります。それを省いて上手くなる人はいないと思います。そしてピアノだけがやはり例外であるはずはないでしょう。エチュード集の楽譜がこれだけ多いことからもわかると思います。逆にこれだけバラエティに富んだ曲のようなエチュードがたくさんあるなら、例えばハノンはまったく必要ないのでは?と考える人もいるでしょう。ある人にとってはそれも正しいかもしれません。

なぜこの議論をまた私が始めたかと言うと、実は「辻井伸行を育てた先生(=私のこと)はハノンもチェルニーもまったく使わないで成功した」というような話が一人歩きしているらしいことがわかったからです。
これについて私はこれまで雑誌のインタビューか何かで断片的に話したことはあったかと思うのですが、真相から言うと、彼にハノンをやらせなかったかというと、やらせていた時期が確かにあります。チェルニーはどうかというと、やはり30番の途中くらいまではやっていました。テレビで彼がチェルニーを弾いている映像まであったと思います。ただ、譜読み作業にかける時間を思うと、ただ規則的にチェルニーの曲を1曲ずつ進めていくことに疑問を持ち始めたことは事実です。バッハについても同様です。こちらは複雑なポリフォニー音楽を楽譜として目で見て理解できない点への考慮と、譜読みテープ作成の困難さから来たものです。

あくまでこれは伸行君に対する最良の選択をしたということであって、練習曲を意図的に省いたわけではありません。ハノンはある時期以外、彼にはほとんど使いませんでしたが、ピアニストとしての私自身は毎日ハノンを1番から60番まで弾いていたし、それによって計り知れないほどの恩恵を受けたことは本にも書きました。公開講座でも話して回っているくらいです。

だから、一律にすべての人に通じるメソッドが存在するわけではないということなのです。これは気をつけなければなりません。エチュードの使い方は、豊かな経験を積んで判断すること、そして生徒さんの個性や能力をできるだけ深く理解した上でケースバイケースで考えていくべきことだと思っています。
ピアノの先生であれば、自分の考えに基づいてエチュードのカリキュラムを組み、それを生徒さんに与えてみる。そして結果に応じて常に最良の選択をしていくことです。方向転換が必要な時もあるでしょう。きっと個人個人によってさまざまな選択が必要になることと思います。

| Copyright 2010,08,03, Tuesday 08:47pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

練習時間というもの

昨日、最近知られるようになった若手ピアニスト、12歳の牛牛(にゅうにゅう)君を偶然テレビで見ました。私は普段テレビをほとんど見ないので、すごい確率だったかもしれません。報道番組でのスタジオ生出演で、なんと生演奏もありました。「くまんばちの飛行」や「トルコ行進曲」(編曲)など。食い入って見てしまいました。

トークではお決まりの質問である「毎日の練習時間は?」に、彼は「4時間くらい。効率よく練習すればそれで充分」みたいな回答をしていました。誰も驚きはしないのでしょうけど、ちょっと発見することもありました。
あとからよく考えてみると、12歳であの発言はすごいかな、と。

普通、プロを目指してピアノを弾いている人は、練習はほとんど一日中とか、6~8時間、あるいはもっと練習するべきだとされていることでしょう。あの郎朗(ランラン)だって、子ども時代は練習の鬼だったのですからね。
たしかに忙しい時代です。ピアノの練習だけに時間をかけなくてはいけないライフスタイルは、もう現代ではピアニストであっても許されなくなってきたのかもしれません。それを彼はもう12歳で悟っている、と観ることもできるかもしれませんね。
演奏家の中でも、特にピアノや弦楽器のソリストは練習にめちゃくちゃ時間をかけます。そして、そのくらいやって当然と思われてきました。ただ、この考え方さえ、もう捨てなきゃいけない時代なのだろうか…。

自分自身、これまでの人生でピアノの練習のために費やした時間を考えると愕然とするほどです。だから、もうこれ以上できるだけ練習したくない(笑)、というのが本音ですね。他のことに時間を使いたいのです。でも演奏活動はしたい…、そのためには最低限の練習時間をやはりとらなくてはいけない、という葛藤がいつも付きまといます。やらなければいけない仕事はいつも山ほどあるし、ピアノを離れて勉強したいこともまだたくさんあるのです。

ではいったい一日に最低どのくらいをピアノの練習時間に充てれば良いのか?
牛牛君で4時間なら、私の歳では1時間でいけるか。いや、無理だ。では2時間?これでも、演奏会で何時間もの曲目を人前で出せるほどのものを維持することはできない気がする。練習は、心身ともに非常に良い状態でクリアな集中力を持って臨まなくてはいけない。そんな理想的な練習が2時間実現するためには、前後合わせてやはり4時間くらいの時間確保が必要な気がします。頭をよく働かせて練習すればかなりの無駄を省けるといっても、やはり楽しみながら譜読みをする時間や、指に覚えこませるための運動能力に関わる練習もありますから。
だから、自信を持って人前で弾けるためには、やっぱり毎日4時間くらいは確保するべきでしょうか。

平均4時間といっても大変な時間ですよね。これを毎日確保するためには、ピアノが最優先なのだという意識をずっと持ち続けるか、または無意識にそうなれるための習慣づけを行っていなくてはいけないでしょう。よほどピアノが好きでなくては続かないわけです。
でも、大人になると、好きだけれども続かなくなっていく…のですよね。意志の力が弱くなっていくというか、他にやることがたくさん出てきて忙しくなってくるので優先順位が変わってくるのです。職業音楽家であっても、きっとその葛藤は一生続くものでしょう。

あ~、だから牛牛君のように12歳の時点であのように発言できていたら人生もっと有意義だったかなー、とは思います。

| Copyright 2009,10,27, Tuesday 02:29pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

本番力について(2)

家で弾いている時はうまく弾けるのに、本番では全然弾けなくなってしまう理由は確かにいくつかあります。
ホールでは、いつもとは違う照明の明るさや会場の雰囲気、ピアノも違う機種、そして普段とは違う響きに戸惑います。また、タッチはコンサートグランドは鍵盤の戻りが遅く、重たい感じがします。実際その通りです。フルコンのタッチは、オーケストラを指揮しているような感じというか、自分の指の速さに鍵盤がついてこない感じがします。これに慣れることも必要です。

それから、緊張のあまり、手が氷のように冷たくなってしまう、あるいは、普段出ないほどの汗が吹き出してくる人。弾いている時に、普段はまったくそんなことはないのに、本番になると手の平から無限とも思える汗が流れ出す人や、異常なほど額に汗をかく人もいるでしょう。そういえば、ラン・ランというピアニストがいますが、彼はまるでスポーツのようにピアノを弾くのですが、身体も汗にまみれています。テレビで見ていると、汗が飛び散っていて、あれでは鍵盤の上はほとんど水浸しでしょう。「それでも弾ける」という自信がきっとあるのだと思います。普通はそんなに汗をかいたら鍵盤がすべってしまってまともに弾けなくなります。例えば管楽器だったら、詰まった唾液を時々出さなくては音自体がならなくなってしまうということがありますが、ピアノは少なくともそういうことはない。どんな状況でも弾けるという訓練をやっているのだと思います。ただ、繊細な表現はその際少しばかりは捨てなくてはいけないこともあるでしょうが…。
手だって、本番で凍り付いてしまうという人は、普段から冷たい手でもこのくらいまでは弾ける、というのをやっておくと良いと思います。

だいたい本番などというものは、完璧な環境でやれることなどないと思うべきで、最悪でもここまではできる、というのを自分なりにいろんなシチュエーションとして知っておくこと、それを自信として持っておくことが大切です。
例えば、ある外国の音大では、椅子の高さが変えられないような椅子でレッスンを受けている光景もありました。どんな高さだろうが誰も文句を言わないし、弾くのに特に支障があるとも思っていない様子でした。また、悪いピアノしか与えられていなければ自分の内から湧き出す表現力のほうを高めるとか、いろんな制約があってもなんとかこなしていまうこと。どんな状況でも聴衆に喜んでもらえるだけのパフォーマンスはできる、という気持ちで毎回の本番に臨むことはプロの条件でしょう。

簡単に言えば、タフになることです。そうすれば、たいていの場合は「稀に見る好条件」にしか見えなくなってきます。

| Copyright 2008,12,07, Sunday 08:48am kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

本番力について

一発勝負の本番で自分の本来の力をちゃんと出すことができるかどうか、この能力を本番力と名付けてみました。例えば人前で歌を歌うとか楽器の生演奏、その他のパフォーマンスで本番に強い人というのは確かにいます。

ピアノも、人前でうまく弾くのは本当に難しいと思います。人前で一発集中してあれだけ多くの音を正しく操らなくてはいけない。ピアノは、意外にそう思われていないかもしれませんが、楽器としては繊細すぎると言ってもいいでしょう。
ところで、本番でどうしても力が出せないという人は、ピアノの演奏に向いていないのでしょうか。もしそう言ってしまうと、おそらくほとんどの人は向いていないことになるでしょう。それほどピアノには求められる能力が大きいと思います。
ただ、人によって得意不得意な部分は違います。ある人は、人に見られているほうがうまくいく、それも観客が多いほど気分が乗ってうまくいってしまうという人もいれば、その逆もある。ある人は、本番では必ず手が冷たくなってしまって、どうしたって普通の指の運動にさえ支障が出るとか、精神的に参ってしまうという人もいるでしょう。どんな人にも、強い部分と欠点の部分があると思います。では自分で致命的だと思うほどの欠点があったらどうしたら良いか。もうピアノを人前で弾くのは諦めるべきなのか…。
例えばレコーディングならうまくいくという人もいるでしょう。お客さんがいなければ集中できるし、生演奏でないというプレッシャーの軽減によって本来の力が出せるという人。逆にお客さんがいなければ、1回目は集中して演奏できても2回目以降はどうにも本気が出ないので、もうその日は二度と良い演奏ができないという人。いろんな人がいます。

自分の欠点と思われる部分は誰にもあるかと思いますが、それをどうするか。道は二つあります。
一つは、欠点の部分を鍛えて能力を高め、ある程度克服してしまうこと。これには年月と努力が要ります。もう一つは、自分の欠点が目立たないようにすること。これは、長所をうまく見せることで全体でカバーするというスタイルをとること。どちらも大切です。プロといわれる人は、さりげなくこれをやっていると思います。自分の長所と短所を見極めるということですね。
何度も何度も人前での本番を経験して、自分を正しく知っていくことが大事です。そしてどんな状況においてもこれだけのものは出せる、という自信をつくること。これこれの条件が揃わなければダメ、というような人は確かに演奏家向きではないかもしれません。(続く)

| Copyright 2008,12,06, Saturday 08:53am kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

プロデュース能力

音楽大学で勉強しているような人は、ただ「音楽が好き」、「演奏するのが好き」という人が多いと思うのですが、やはりこれからはプロデュース力も大事です。

楽器を一生懸命練習することももちろん大切ですが、ただ与えられた曲を練習して、与えられたことをやっているだけでは、仕事ができる人材、社会に必要とされる音楽家になるのは難しい時代だと思います。
しかし、例えば一つコンサートを企画するというのも、ゼロからやるのは大変な努力が要ります。経験も必要ですし、すぐにできることではありません。音大では、興味のある学生にはそのようなマネジメントを勉強する機会も皆無ではありませんが、ただ、あまり重視されているようには思えません。ですから、一人一人が「何か新しいものを生み出そう」と自分から思うことは大事だと思います。

その意味では、先日7/14の記事で紹介した学生たちの活動などは重要な意味を持つと思います。彼らは、もう1年以上前にグループに名前をつけて活動を始め、老人ホームでの演奏等から始まり、学校コンサートその他のイベントで演奏の場を作って多くの人の役に立っています。現在はボランティアでの演奏が多いようですが、とても喜ばれ、これがきっと大きな動きに発展していくことでしょう。まったく何もないところから自分たちで行動を起こした結果、協力してくれる人が集まったということです。

プロデュース力は、簡単に身につけられるものではありませんが、誰でも何かを生み出すことは可能だと思います。「何もないところから何かを生み出す力」です。特殊な才能を持っている人は、音楽を作ることができたり、詩を書いたり、絵を描いたり、物を作ったりできる人もいるでしょう。これは立派な創造物です。また、商品を作ったり、番組を作ったり、イベントを作る…という人もいます。何もないところからこういうものを企画をするのがプロデュースということです。もっと言えば映画を作ったり、さらには誰も見たことも聞いたこともないようなものを生み出したり…。

学生のうちから、できれば高校生や中学生の頃からそのような発想を持っていると良いでしょう。プロデュース力を磨く前に、当然まずは学校での勉強をいろいろしなくてはいけないでしょうが、それを基礎にして、何ができるか発展的に考えていくことです。例えば、お互いある才能を持った人同士のコラボあたりから始めるのも良いでしょう。これは自己プロデュース力を含む形になります。音楽でも何でも良いですが、それを発表する場を作ること、そして宣伝をして人を集めること。これだけでも立派なプロデュースです。
これがもっと大きくなると、ホールを借りるとか、経費をどうするかとか、多くの協力者を得てより大きなイベントを考えていくということにつながっていくでしょう。良い人間関係もとても大切です。

そういうことができるようになるためには、いろんなイベントを多く見聞きすること、人の多様な個性を理解することや才能を見抜くこと、それから、現実的に何にどれだけお金がかかるのか、などの具体的な計算ができたり、多くの情報を持っておくことが必須です。また、あらゆる意味でのバランス感覚も必要でしょう。
少なくとも、物事を作っていくプロセスが最後の部分まで大雑把に見えていなければ、行動にまで移れないものです。自分のわからない部分がたくさんあるうちはまだ無理ですが、知識がある程度勉強や経験によって増えてくると、小さなことから実現可能になってきます。そして実現すれば大きな達成感が得られます。
特に音楽をやっている人は、どんな分野の仕事を目指している人であれ、そのような考え方が今後はとても重要になってくるのではないかと思います。

| Copyright 2008,08,06, Wednesday 09:10pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

ハノンを全曲弾く必要は本当にあるのか?

ピアノの練習で、基礎トレーニングといえば誰もがまずハノンを挙げると思います。他の練習曲もたくさんありますが、ハノンはたしかに誰にも役に立つ練習曲の一つだと思っています。

ハノンはご存知の通り60曲あります。すべてを通して弾くと1時間半くらいかかります。この忙しい現代人に、はたしてそのような練習が本当に必要なのか?
ピアノを本格的にやっている人でも、毎日それだけの時間をハノンに充てるのは大変なことでしょう。なんと言っても忙しいのですから。ではどうしたら良いのか。テクニックがもっと楽に身につく方法はないのか。

世の中には、あまり苦労しなくても楽器を上手く操る素質のある人がいることはいます。ただ、自分の音楽を100%表現できないもどかしさ、また自分のテクニックに疑問を感じている人は、なんらかの基礎的なトレーニングがやはり必要になると思います。

何でも良いのですが、現状を打開するためには何か特別なアクションを起こす必要があります。それが、私の場合は大学時代に「ハノン60番を毎日通す」ということだったのですが、これを皆さんにそのままお勧めしたいわけではありません。
お勧めしたいのは、一つは、「限界まで挑戦してみる」ことと、もう一つは「一定の期間、あることを定期的に続ける」ということです。

英語の勉強でいえば、ある本を1冊丸ごと覚えるとか、英単語や英熟語を片っ端から全部暗記するということは、学生時代に一度はやったことがある人は多いでしょう。それが一番良い方法かどうかはわかりませんが、一度本気で取り組んでみることで体得できることがあります。時間を多く浪費しますから、はたしてそれだけの時間をかけた意味が本当にあったのか?と真剣に考えますし、また無駄な部分にも気がつきます。無駄だと思った部分とやって良かったと思える部分が明確にわかってきます。そして、もっと効率の良い勉強方法が見つかっていきます。

何でもそうですが、本気で取り組んでみないと決して見えない壁というものがやはりあるように思います。私の場合は、大学1年の8月頃に「夏休みに入るから1ヵ月くらいは続くだろう」と思って始めたハノン全曲練習でしたが、結果的には、あまりにも大きな効果がみとめられたのでやめられなくなってしまい、翌年の冬のスキー合宿でピアノが弾けなくて中断した3月頃まで、約7ヵ月半のあいだ一日も欠かさず続けることができました。そしてその経験が、今も役に立っています。

| Copyright 2008,07,31, Thursday 09:37am kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

テンポルバートのこと

せっかくショパンの話が出たのでもう少し話を進めてみましょう。

ショパンは、自分の作品にテンポの扱い方の細かい指示(アゴーギク)を書き込んで作曲していました。このこと自体が当時非常に新しいことではありましたが、作品24以後はショパンはルバートという言葉を用いなくなり、作品25あたりからは初期の作品には多かった速度記号が顕著に少なくなっていった(作品27は例外)というふうに一般的に見られています。

結局、自分の曲ではテンポルバートをするのがもうあまりに当然だし、それを全部書くのは不可能だと悟ったということでしょう。ただ、楽譜から曲を読む人にとってなるべく誤解のない最良のテクストをいつも目指していたので、推敲に推敲を重ねて楽譜を何度も書き直して苦労していたわけです。
しかし同時に、ショパンは即興演奏が得意でしたから、いくつかのバージョンで弾いたり、実際に同時代に出版された楽譜の版によって、同じ曲でも違う音が書いてあるものもあります。どちらもショパンのアイデアで、どちらも正しいということが言えるものがあります。

また、マズルカのリズムも、ショパンが弾いたら3拍子には聞こえない(2拍子に聞こえる?!)と言った音楽家もいて、このような舞曲のリズムも楽譜に正確には書けないものの一つでしょう。

昨年5月にカプースチンの録音に立ち会ったときに強く感動した点がありました。それが何かといえば、「テンポルバート」でした。16番のピアノソナタの第2主題の絶妙なテンポの扱い方に、彼がクラシックの演奏家であり作曲家であることを深く再認識しました。楽譜を見ながら聴いていたのですが、楽譜に書いていないことを100も200もやっていました。まるでショパンのルバートのようで、それにしても熟練した技だと感じました。この音楽性には、今までの自作自演盤で聴いていたもの以上のインパクトを受けました。あとでそれを本人に伝えると、「努めて自由に弾こうとしました」と言っていましたから、やはり意図的だったのですね。そして、「自作の曲でも、弾いているうちに弾き方がだんだんわかってくる」というようなことを言っていたので強く啓発された覚えがあります。
彼は、近年の作品になればなるほど、ジャズ的なテンポ感からは離れてクラシックの伝統に立ち返っているようにも感じます。(この録音は、あと数ヶ月のうちには皆さんの手元に届くことでしょう。詳しくはここでまたお知らせいたします!)

| Copyright 2008,02,27, Wednesday 08:05pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

表現力をどのように身につけるか(2)

ピアノの勉強は一般的に楽譜を使うことが多いので、楽譜から音楽を読みとって表現力を高める方法を考えてみたいと思います。

楽譜には、音の高さやリズム、テンポ、言葉による指示(楽語など)が書いてあります。また、ほかに重要なものとしてはフレーズというものがあります。フレーズには、小さなものから大きなものまであります。これは音楽における単語であり文章ですから、正しく意味を理解して正しく発音しなくては通じない言葉と同じように、間違ったフレーズ感では作曲家の意図が正しく伝わりません。

基本的なことができたならば、あとは表現力ということになります。
ここで重要なことを言いますが、実は「楽譜に忠実に」なりすぎると逆に作曲家の意図が見えなくなってしまうことがあるのです。なぜかと言うと、楽譜には書けないことがたくさんあるからです。曲の本質をきちんとつかんでいさえすれば、表現の幅は本来とても自由で広いものです。その音楽が意図しているところを理解することから始まるのです。

一つの例として、楽譜にrit.(だんだん遅くする)の指示のないところで絶対にテンポを緩めてはいけない、などということはないのです。ここが難しいところですが、例えば、ベートーヴェンは楽譜にかなり詳しく指示を書いていますが、必要な指示がすべて書き込まれているわけではありません。作曲家が必ず守ってほしいと思うことは一応書いてはあるわけですが、楽譜に書いてないけど必要だという音楽表現もあります。
はっきり言えば、実はベートーヴェンのソナタにおいてrit.が書いてない箇所でも、「絶対に遅くしてはいけない」ところと、「遅くしても良い」部分と、「遅くする必要がある!」部分がいくつも存在します。演奏する人は、まず“音楽自体が求めるもの”が何かを知り、その上で個々の細かい表現を考えていくプロセスが大事です。作曲というのは、アイデアとして音楽が降りてくるわけですが、その段階ではアゴーギクやディナーミクなどの表現の部分においては、作曲家はそれほど厳密なものとして考えているわけではないのが普通です。(セリー音楽は別ですが。)

ショパンが自作の曲を演奏する際に、かなり自由にテンポルバートをして弾いていた(しかも毎回違うふうに!)とショパンの弟子たちが語っていますが、その証言の意味をよく考えてみる必要があると思うのです。

| Copyright 2008,02,26, Tuesday 07:51pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

表現力をどのように身につけるか

クラシックのピアノのレッスンでは「楽譜に忠実に」という考え方を非常に大事にするのですが、その一方で「自分をもっと表現しなさい」と言われることもあり、学習者は困ってしまうことがあります。「楽譜に忠実に」なることと「自発的な表現力」をどのように考えたら良いのか。

先生からは、過去の偉大な作曲家の曲を弾くのだから、好き勝手に音を変えたりしてはいけない、とまず教わることでしょう。楽譜を正しく読むことはもちろん大切です。リズム、音の高さと長さ、フレーズ、強弱その他の指示、楽語などを正しく読んで音楽を再現することが求められます。しかし、実は楽譜には書き切れないことというものもたくさんあって、作曲家は苦戦しながら譜面を書いているという事実もあります。だから、楽譜に書いてあることが全部正しくできただけでは良い演奏になるとは限らないのです。ましてや魅力的な演奏にはならないでしょう。楽譜に書けるものと書けないもの、これを考えてみることが必要でしょう。これは作曲家の立場になってみないと分からないことでもあります。

一つやはり言えるのは、作曲の経験をしてみることです。まず簡単なものでも良いから、自分のオリジナル曲を創ってみる。歌でもピアノの曲でも、他の楽器を使ってでも何でも良いでしょう。自発的に何かを生み出そうとすると、頭の使い方がまったく変わります。パソコンで作曲するというのもいいでしょう。作曲家の視点から音楽を見ると、すべてが変わってくることは確かです。

それから、音楽を聴くこと。それもたくさんいろんな種類のものに触れることをお勧めしたいです。今の時代、音源はいくらでも手に入ります。物質的には豊か過ぎるくらいで、逆に音楽を聴く時間がないなどという人もいるかもしれませんが、努力して良い音楽をたくさん聴く時間を見つけることです。これによって、楽器をやっている人は、必ず表現力も身についていくことにつながっていくと思います。
また、名曲と言われるものでも、複数の演奏家で同じ曲を聴いてみることもお勧めします。そして、その中から自分の好きな指揮者や演奏家を発見し、その演奏の何が自分は好きなのか、どんな表現に共感するのかを分析することも大事です。そうしていくうちに、自分の中に表現欲が生まれてきます。最初は、巨匠と言われる人の表現を真似するのも良いでしょう。これは楽器演奏の上達には欠かせません。音楽も言葉と同じように、まずは真似をしなければ身につかない部分があります。子供が親の喋る言葉を聴いて言葉を正しく身につけていくのと同じです。表現欲があっても、その表現法を知らなければ人に伝わらないのです。(つづく)

| Copyright 2008,02,24, Sunday 01:33pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

ピアノ演奏における「創造力」とは?

楽器を演奏するために「創造力」は必要なのか?という話です。

ピアノの勉強の目標は、まず楽譜に書いてあることを理解して演奏できるようになることです。演奏は再現芸術ですから、まず何もないところから音楽を生み出した作曲家がいて、そしてそれを演奏する人がいるというわけです。そうすると演奏者の創造性とは何だろうか?という素朴な疑問が沸きます。表現力の話の前に、まずこれを考えてみたいと思います。

「創造」というのはモノを生み出すことだから、作曲あるいは編曲をするというのならわかるけれども、演奏するために創造力は必要なのだろうか、と考える人はいるでしょう。でも実際、ピアノを弾けることは弾けるけれどもその内容(音楽表現)がなかなか…、と感じている学習者も多いと思います。これがピアノのレッスンの難しい部分でもあります。どうしたらもっと上手くなるか。表現は、曲をどう解釈するかだけの問題か、それとも、やはり「創造力」が何か必要なのか。演奏というのは、楽譜が読めれば音は誰でも出せてしまう、だから演奏者には作曲家と同じほどの強い音楽的欲求や感受性がなかったとしても、それなりに演奏ができてしまったりします。でも、これが良くない場合もあるわけです。やはり創造性は必要なのですね。

でも、先生には「正しく楽譜を読みなさい」とか「楽譜にもっと忠実に」とか言われると、勝手に音やリズムを変えてはいけない。一体、演奏においてどうやって創造力を発揮したら良いのか、わからなくなってしまうことがあると思います。

外国人のレッスンで、教授が生徒に「ここは自由に」という表現をすることがあります。例えばドイツ語の”Frei”(自由に)がそれにあたりますが、これは日本語の「自由に」とはちょっとニュアンスが違います。日本語で「自由に」と言うと、なんだか自分勝手にどんなふうに弾いても良いのかなと捉えてしまいがちですが、“Frei”は「制約されずに」とか「束縛されずに」というようなニュアンスが強く、「自発的に音楽を自由に操る」、「作曲家自身になった気分で」というような感じでしょうか。テンポ感を、あまり窮屈に感じてがんじがらめになってしまってはいけないという意味合いもあります。

楽譜を読むときに、「何をしてはいけないか」を考えるのではなく、「どんなふうにもできるけれどあなたはどうする?」という考え方です。この転換が創造力につながると思います。例えば、テンポルバートが可能な場所(“自由に”といわれた部分がそうでしょう)で、どのフレーズを少し先へ急ぐように弾くか、どの部分を反対に少し遅れさせるように弾くか、このセンスでさまざまに違う音楽が出来上がることでしょう。

次回は実際の表現法ということを考えてみたいと思います。

| Copyright 2008,02,17, Sunday 11:18pm kawakami | comments (x) | trackback (x) |

 

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