この3日間は大学院の入試関連の審査でずっとホールに缶詰でした。考えてみれば先月から今月にかけては日祭日も仕事やイベントでフル稼働が続いていて、またもや忙しいスケジュールのスパイラルに入ってきました。
ということで、ここ数日は特にピアノの音のシャワーを浴び続けていたわけですが、多くの学生たちのレベルの高い演奏とバラエティに富んだレパートリーを聴けたのは救いではありました。あらためてこんなにも多くのいろんなピアノ曲があるものだなと思いましたが、はたしてクラシックの分野にこれ以上まだ新たに作品が生み出される可能性はあるのだろうか、もしそうだとしたらどんな曲が新たに創られるのだろう?と思いました。もちろんその曲はこうしてクラシック界のコンクールや試験、演奏会のレパートリーに加わり、その後もずっと演奏され続ける可能性のある作品という意味です。
もし今、ショパンやリストのように「ピアノ」という楽器に強い愛着を持ち、のちに大作曲家と言われる可能性を持つような人が現れたとして、一体どんな種類のピアノ音楽を生み出すのでしょうか。そんなことを考えました。もちろん今の時代にふさわしいものとして、これまでに存在する音楽や現代の音楽の影響等もさまざまに受け、その上でまだ誰も聴いたことのない新しい音楽を創るだろうと思うのです。
ちなみに歴史的にピアノに愛着を持った作曲家としては、クラシック界ではもちろんショパンが筆頭に挙げられると思いますが、他にはリスト、シューマンあたりの名前がまず挙がるでしょう。この3人は特に今でも演奏されるレパートリーが膨大な作曲家たちです。ショパン以前はまだピアノという楽器が未発達だったこともあって、「クラヴィア」のために作曲した作曲家はもちろんいますが、「ピアノ」のために作曲したという作曲家としてはやはりピアノソナタの発展に貢献したベートーヴェンを入れなくてはいけないでしょう。ロマン派以降では、ブラームスもピアノソロ作品の数は限られているとは言え、室内楽や協奏曲の存在も大きいので挙げても良いでしょう。もちろんロマン派でピアノのための作品を書いた作曲家はこれ以外にも多くいると思いますが、音楽史的にも重要な意味を持つ作曲家に限っていけば、あとドビュッシー、ラヴェルの存在は大きいです。それからスクリャービン、ラフマニノフ、メトネルあたりが重要です。メトネルはピアノソナタを14曲も書いていて、大ピアニストとして当時活躍していたあのラフマニノフがメトネルの作曲の才能には嫉妬していたという話もあるほどです。あとはプロコフィエフも交響曲やオペラなどの存在が大きいですが、ピアノ界でもすごく重要な作曲家の一人です。そして次に圧倒的な存在を見せつけるのがカプースチンと言って良いでしょう。
ここまで挙げた作曲家は、特にピアノに強く愛着を持ち、自身もピアニストだったというケースも多く見られますが、作曲家として重要なピアノ作品を世に残したという功績が大きな人たちです。私の問いは、もし現代にこのレベルの作曲家が現れたとしたらはたしてピアノで一体何を生み出すでしょうか?ということです。やはり今の時代においてまだ誰も聴いたことのない新しい音楽を創るでしょうか。ピアノのための新しいソナタや協奏曲を作曲するでしょうか。もちろん現在進行形でそのような作品が今も生み出されていることとは思います。でもピアノを使ったとしても、何かまったく違うものを創り出す可能性もあるでしょう。きっとそれは誰も見たことのない新しい形を伴う可能性もあるでしょうし、本当の意味でそれは天才にしかわからないということにもなるのでしょう。ただ、ピアノは本当に大きな可能性を持つ楽器なので、まだこれからのピアノ音楽の発展にもとても興味が沸きます。
例えば今もジャズがこれだけ流行っていて、この音楽ジャンルが発展・進化を遂げたことでピアノ技法が新たに発展した部分があるし、カプースチンがジャズやロックのビート感やその後のポップミュージックのいろんな音楽に現れる16ビートを伴う打楽器の効果を含む新しいピアノ奏法を生んだことも目新しいです。また、そのようなテクニックを含んだ上で、ピアノをソロで、あるいはビッグバンドや協奏曲の形式で演奏する形態もありますが、例えば藤井風さんに見られるようにそのレベルのテクニックを含むピアノ奏法を「弾き歌い」で実現してしまうアーティストもいます。
だからピアノの技術は新しい音楽の発展とも関わるし、ピアノの楽器としての可能性が他ジャンルとのコラボから新たに生まれることもあるし、ピアノ自体は何も変らなくてもまだまだアイデアが出てくる可能性があると思います。それはクラシック界のレパートリーにまだこれからも新しい作品が増えていくという方向になるのか、それとも何か違った形態になっていくのか、あまりにも著しく変わっていく現代においては私にもまだその先は読めません。でもここでピアノ音楽の発展が止まることだけはないだろうな、ということはひしひしと感じました。現代の「ピアノ弾き」たちの動向にはこれからもまだまだ目が離せません。