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カプースチンのテンポ感について~補足


昨日のブログで、カプースチンが自作の『ユモレスク Op.75』の私のCD録音の演奏でテンポを精査したという恐ろしいことを言っていた、という話を書きました。確かにそんなことまでするとは、よほどの好奇心というか研究熱心というか、あるいはマニアックとまで思う人もいるかと思います。ただ、これと似たような話は実は過去に聞いたことがありました。

かなり以前ですが、ドイツのピアノの教授(自分の記憶によればおそらくB.ゲッツケ先生だったと思われる)がレッスン時に言っていたことです。スクリャービンが自作の『詩曲 Op.32-1』をものすごいテンポルバートをして演奏していたので、CD音源ですべての小節をメトロノームで測りながら聴いたところ、テンポがいくつからいくつまで激しく揺れ動いていた、というようなことでした。その正しい数字は覚えていませんが、すごく大きな開きがあって私も驚いたという記憶があって、家に帰って自作自演CDがあったのですぐチェックしてみたところ、まったくその通りで笑ってしまったということがありました。おそらくこの曲がスクリャービンらしいテンポルバートの典型的な部分が一番出ているのではないでしょうか。

クラシック作品であればそういうことはありますし、それをメトロノームで測って研究してみるというようなことがあっても良いと思います。ただ実際にそれをやる人は少ないでしょうから、カプースチンのその行動も貴重ではあるのですが、演奏音源ですべての小節のテンポを測るという発想がすごいなとは思いました。それほどテンポというものを客観的に知る必要があったということなのでしょう。

カプースチンがメトロノームを常に肌身離さず持ち歩いていたという噂はとても信憑性のある話なのですが、人間のテンポ感というものは本当に信用できないもので、それは私もカプースチンのコンチェルトの演奏でドラムと一緒に演奏しなければいけないのがどれほど難しいかということを初めて知った時に痛感しました。それはそれまでどんなクラシック作品を弾いた時にも意識したことがなかったのです。ジャズピアニストはその辺りが最初から違うのではないでしょうか。一般的にクラシックのピアニストは、言ってみればすべての小節を自分の由に弾いて良いと思っているのではないでしょうか。

例えばカプースチンの『トッカティーナ Op.36』のような、最初から最後までドラムのビートに合わせても弾けてしまうような曲はクラシック作品にはないのではないでしょうか。ショパンのエチュードOp.10-8のような全曲を通じて規則的な十六分音符で書かれているような作品でも、実際にショパンコンクールなどで弾いているピアニストの演奏を聴くと、もうテンポ的には揺れまくっている、というか自由なテンポ感覚で弾いているということがわかります。ある部分では心地良く間(ま)を空けたり、フレーズの終わりを少し遅くしたり、勢いをつけてみたり逆に気をフッと抜いてみたり、そのように恣意的にテンポを操ったりできます。

私自身はカプースチンのコンチェルトを演奏したことで相当鍛えられましたが、最近現れたカプースチン弾きで有名なフランク・デュプレなどは、自身がドラマーであった時代も長いのでビートの安定感がやはり違います。テンポどおりに弾くだけという演奏は一見面白みがないように思えますが、実は案外とても難しいことなのです。クラシック的な感覚とはノリが全然違うのです。カプースチンのある種の作品ではそれが求められるわけですが、それを本当に理解するのに意外なほど時間がかかったという実感があります。

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