
[2006年11月28日]
「親愛なるマサヒロ!
私の作品についてマルク=アンドレ・アムランは、ほかの意味でも難しいと不平をこぼしていたことがあるよ。それはね、常にコロコロと変化して、一つの場所に(一つの調性に)留まっていることが滅多にないんだよ。だから全部を覚えることがとても難しい。つまり彼が言いたかったのは、私の作品はただ暗譜するのが難しいというだけではなく、聴衆の前で弾くのが危険でもあるということなのだ。彼が私の『ピアノソナタ第2番』をロンドンで弾いたとき、私は驚いたのだが彼は譜面台に楽譜を置いていたんだ。
もう少し易しく書いてみようと思ったことはあるのだけど、そうすると音楽自体が魅力的ではなくなってしまう。とは言ってもやはりもっと易しく書く必要はあるよね。今は時間がないけど。
もちろん、私の最近書いた作品でまだ録音されていないものを入れたとしてもあなたの新しいCDには足りないよね。それにそれらの曲は収録しても全然割に合わないだろうし。きっともっと早い時期の作品を足すほうが良いのではないでしょうか。
また「音程」について…。
ぜひ知りたいと思うのだが、日本のピアニストはスクリャービンのエチュードOp.65-1を弾きますか? その曲、なんと言ってもすべてが9度音程なので…
一般的に言って、遅いテンポの音楽では10度音程だけでなく11度音程もアルペジオで弾いて良いでしょう。
ところで、私の作品にはよく出てくる主和音で「C-G-d-e」(F、Fis、Gから始まる同じ音程も同じ)というのがある。これらの和音なら私は上から全部つかめますよ。あと教えてほしいのだけど、あなたは「C-es」と「Cis-e」ではどちらが掴みづらいですか?
最後に…Op.122の2つのエチュードをあなたはどのくらいのテンポ(メトロノームで)で弾きましたか?
Kind regards,
N. Kapustin」
ほぼ2年以上も時間が経って、久しぶりにカプースチンからのメール公開を再開します。日付は以前止まったところから続けますので2006年の11月28日のメールです。(なんとほぼ20年前です。私の記憶が忘れないうちにどんどん先に進めなければ!笑)
超絶技巧を持つマルク=アンドレ・アムランが「カプースチンの曲は難しい、特に人前で弾くのは大変ですよ」というようなことをカプースチン本人に言っていた、というのは確かに驚いた記憶があります。とは言え、上のメールは私もカプースチン本人に「本当にあなたの曲は難しい」とかなんとか書いたことに対してのお返事ではあったのですが。でもカプースチン自身も自分の作品が難しいということは認めていて、「同感ですね」というような感じで、その理由や言い訳のようなことをたくさん書いてくるところが面白いですよね。まあこの作曲家は自分の中から湧き出てくる音楽を最優先しているということなのでしょう。でも頭に浮かんでくる音楽があれほど細部まで複雑なものであるということには驚きを禁じえませんが。
メールでは私が次に自分のCDに収録する作品について本人のアドバイスを伺ったりしていたことも思い出します。この頃はまだカプースチンの作品はピアノソロ曲ではOp.128くらいまでしか存在していない頃で、私の3枚目のカプースチンCDにはまだ完成したばかりのそのOp.128も入れました。ほかに世界初録音のピアノソナタとか比較的新しかった小品とか、そのようなプログラムになりました。
あとはこの前のメールで10度音程のことについて話をしていたので、その続きで「広い音程」についての話題をまだ引っ張ってくれています。一つ何かトピックが出てきたら、それについて熟考して長く話題にするという感じがあります。これは集中力が高い人に共通することでもあるように思います。上で言及されているスクリャービンのOp.65はカプースチンがモスクワ音楽院時代に学んだという曲で、特に第1曲の9度音程によるエチュードは得意としていたようです。彼の友人だったウラディーミル・アシュケナージが、カプースチンがこの曲を弾くのを見て絶賛していたというようなことが本にも書かれています。カプースチン自身はこのエチュードはS. リヒテルの演奏で初めて聴いたと言っていますが、やはり当時のロシアのピアノ界でのレパートリーのあり方を垣間見る気がします。ちなみにこのエチュードは日本人のピアニストにはほとんど弾かれないでしょう。(滅多に見ません。)
カプースチンが音程にこだわるのは、やはりこのスクリャービンの『3つのエチュードOp.65』の影響や、ドビュッシーの『12のエチュード』の中の音程に依拠するものなどの影響で、彼自身の作品として後に『5つの異なる音程によるエチュード』Op.68などに結実しますが、そのような偉大な作曲家たちから影響を受けたということを見て取ることができます。
最後の質問は、私がOp.122の2曲のエチュードをその年に世界初演したので、その時に弾いたテンポを教えてほしい、といろいろ彼の質問も細かいのでした。
おまけ:カプースチンのメールの最後の結びの句は、なぜかいつも英語であることが多かったです。本文はすべてロシア語なのです。それなのになぜか結びだけが英語で、しかもKind regardsだけではなくAll the bestとかBest wishesとかWarmest regards、All the very bestとか毎回変えてくるのです(笑)。たまにロシア語で書いてある場合もありますが、その場合はいつもВсего хорошего(ごきげんよう)だけです。あとはПишите по-чаще(もっと書いてね)がときどき付け加わります。後者のほうは便利な表現だと思うのですが(日本語ではこれに似た定型的な言い回しはない?)、これがくると「もっと頻繁にメールを返信しなければいけないのにカプースチンを待たせてしまってるな~」と思ったものです。向こうからはすごい情報が飛び交って来るのに、こちらはそれに見合う内容のメールをタイムリーにどんどん書くことができず追いつかない、というジレンマがけっこうありました。よくぞそんな私にもいつも機嫌よく長期間にわたってメールを書いてくれたものだと思います。感謝しかないですね。