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ピアノのさまざまな楽しみ方


楽器としての「ピアノ」は、19世紀の最初頃からほぼ現代の人が聴いても申し分ないほど発達していたことは、今も楽譜のとおりに演奏されるショパンを聴いて私たちが熱狂できることでもわかります。それ以前の時代のものは例えば古楽器で演奏することで楽しむこともできるでしょうし、バロック音楽まで遡ると、その時代のスタイルを重視して現代の楽器に翻訳してアレンジを施したり、装飾音などを現代ピアノに合うようにするなどして楽しむということもあり得るでしょう。

考えてみれば、今の時代のピアノの楽しみ方はすごく多様になってきているし、やはりピアノを弾く人たちの演奏技術や表現の可能性、そしてピアノという楽器で新しい感動が生み出される可能性においては今も現在進行型で発展しているとしか思えません。それにはもちろんクラシック音楽の発展もありましたが、ジャズが今も発展し続けているように見える点も見逃せないです。現代では当然のごとくクラシックばかりでなく、ジャズピアニストを目指そうとする若い子どもたちも増え続けるでしょうし、またピアノで表現できる音楽に境界線を引かないスタイルが出てきているようにも思います。

例えばストリートピアノでは、クラシックを弾く人もいればジャズを弾く人もいます。どちらが良いとか悪いとかではありませんが、新しい種類の音楽はほぼ何でもジャズの世界では対応できるという点はジャズの強みではあります。とにかく聴衆の立場でもピアノ音楽の楽しみ方が多様になってきているし、またピアノという楽器で可能なことは10年前と比べてもまったく違うほど発展し続けているようにも見えます。それだけ若い人たちが自由にピアノを弾いているということ。そのことはとても喜ばしいことです。おそらくピアノを弾く人の人口は、肌感覚としては今でも増え続けているのではないという気がします。

その一方で、例えばショパンコンクールで弾く若い演奏家たちを見てもわかるように、クラシックにおいても演奏レベルは異様に高くなり続けていっていることも感じます。一昔前には「難曲」とされていた曲が、もはや難曲ではないようにも見えます。最近の国際コンクールで弾くとても上手な若手ピアニストたちの演奏を聴くと(観ると)、気が遠くなる人もいるのではないでしょうか。しかもこの時代、動画で配信することに慣れている若手演奏家たちがたくさん生まれています。つまり動画でアピールする時代になって、常に聴衆に晒されている状況でライブ演奏するということが当たり前になって、これまでは特別に注目されたアーティストだけがテレビカメラに撮られている時だけそういう状況になる、というような世界ではもはやなくなりました。

ピアノを弾く技術自体が年々レベルが上がっていくことはもう止められないでしょう。つまりコンクールなどのレベルもまだこれからも上がっていくのでしょう。でもクラシックに限らずピアノで表現できる音楽自体も多様になりました。カプースチンに限らず、R&Bやヒップホップのリズムをもう当たり前にピアノで表現できるようになったし(両手を駆使して16ビートをあのように生き生きと奏することが可能になったのはカプースチンのお蔭か、あるいは時代の必然なのか…)、ジャズという音楽に限定せずにスウィングもロックのビートもどんな音楽にも取り入れることが可能に見えるような状況です。これからはクロスオーバーという言葉もきっと古くなるでしょう。

だから発想さえ自由であれば、音楽には無限の可能性があることがわかります。クラシック音楽の世界だけではそこまでの考えには至らないかもしれませんが、今の時代はもう少し広い視野で音楽のあり方を見ていかなければいけないと感じます。カプースチンという作曲家は今後まだどれだけそのための橋渡しの役割ができるのだろうか、今世界でピアノを弾く人たちのいろいろなシーンを見るにつけそんなことを考えたりしています。

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