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「模範演奏」は存在するのか?


レッスンをしていて、ピアノの学習者によくあるのですが、そして音大生あたりでもときどき聞くのですが、それは今やっている曲を「どう弾いたら良いかわからなくなってきた」というものです。長く練習しているうちにどういうふうに弾くのが正しいのかわからなくなってきた、ということです。確かに同じ曲をずっと弾いていると耳も慣れてくるし、その曲に対する感性がマンネリ化してくることもあるでしょう。

もちろん長く弾いている曲に対していつも新鮮さを保つ工夫はしなければいけないと思いますが、それよりもやはり演奏に必要なのはその曲をきちんと「理解」することです。理解というよりは私がときどき言っている「解釈」ということでもあるのですが、その音楽の本質をよくわかり、音符の細部にわたって意味が理解できているというか、どの音に対しても「どう表現したいのか」ということを確信していることが大事です。ただ、これは音楽経験が浅いとなかなか深いところまでいかないと思います。ですので、少しでも早い段階でありとあらゆるたくさんの良い音楽を聴く必要があると思うのです。まずは自分が好きなジャンルの曲をたくさん聴くのが良いでしょう。

自分の演奏において表現力があまり発揮できない人は、実はあまりいろんな音楽を知らないという可能性もあります。あるいは他の演奏をあまり聴いてないという場合もあるようです。たくさん聴いて常に自分の音楽的感性が揺さぶられていれば、自然に表現したいことが出てくると思います。どう表現したら良いかわからない場合、例えば「模範」と思われるようなピアニストの演奏を探す人もいるかもしれません。ただ、「模範演奏」などというものは存在しないと思ったほうが良いと思います。おそらくその演奏を真似できたとしても、聴衆を感動させる演奏ができるわけでもなければ、コンクールで入賞できるわけでもないと思います。

ただピアノの世界では模範演奏ということを意識して録音された媒体もいろいろあるので、それがまったく意味のないものであるとは思いませんが、音楽の生徒たちはある楽曲を「どう弾くべきか」という視点から見る人も出てきたりします。でも唯一の「正しい」弾き方はないのです。それよりも「自分はこのように感じる」という感性を磨くほうがよほど重要です。自分自身が自分のやり方で表現することに価値があるわけで、もし表現したいことがまったく出てこないというなら、それが出てくるまで自分の勉強を続けたり感受性を磨いたり、たくさん良い音楽を聴いて音楽経験を増やすことが大切だと思います。音楽のアイデアというものは基本的には自分で見つけることが大切です。

だから、もちろん模範と思われるピアニストの演奏があれば聴いても良いし、自分の気に入ったピアニストの演奏を何度も聴いて勉強するというのも良いのですが、その演奏を聴きながら感心するだけでなく、「ここは自分ならこういう風に弾くだろうな」くらいの意識が芽生えても良いと思います。ライブの演奏であれば「とにかく感動した」とか「心に響いた」ということはよくあるでしょうが、CDや動画など模範的な演奏を意識した録音の場合は、演奏としては十分に整っているものの、あまり感動的でも個性的でもないような演奏も意外にあったりします。たとえそれがミスのないきれいな演奏であったとして、はたして模範演奏と呼べるかどうかというと、そうではないと思います。

良い演奏を目指そうとする人は、やはり自分の力で曲作りができること。曲作りというのは、楽曲を最初から最後までよく理解し、わからないところがないようにきちんと音楽を分析して自分なりに腑に落とすこと。そしてその音楽で何を語りたいのか、何を表現したいのかをちゃんとわかって、その表現力を磨くというプロセスです。音楽を本当に深いところから捉えられた時には、不思議なことにその演奏は一様なものではなくなります。つまりいつもまったく同じ演奏になるのではなく、表現が流動的に変化したりするにもかかわらず、毎回どれも一つの素晴らしい演奏になっている、というような状況になると思います。まさにこれを目指すべきで、表面的にどう仕上げるかということよりも、その曲の内容や素晴らしさが聴衆にちゃんと伝わることが大切です。何を弾いているかわからない、と思われる演奏だったら、それは今一つその音楽に対する解釈や表現が弱いということであり、あるいは表現力がまだそこまで高いところまで磨かれていないということです。

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