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日本の学生の演奏に思うこと


昨日は武蔵野音楽大学でピティナのG級予選があって審査に行ってまいりました。

大学生以下のカテゴリーで昨日は35名、この級のエントリー数はかなり多いので毎年何か所にも分けて行われています。昨日は全体的にレベルが高かったと思われます。昨日の演奏を聴いていると、この梅雨のどんよりした天気などにはいっさい左右されず、皆さん毎日規則正しく練習に励んでいたことがわかりました。その中の特に優秀な人たちはもう学生レベルとは言えず、そのままプロのピアニストとしてステージに乗せてあげたいと思うような人も少なからずいました。

審査員は朝9時過ぎには集合し、全部終わったのは20:15頃。もう外は真っ暗でした。
昨日の審査は合計7名。長丁場でも審査員の先生方もスタッフさんたちも皆さん良い方ばかりだったので楽しい時間を過ごせました。


昨日のコンクールとは直接関係ありませんが、日本の音楽学生の演奏に共通する特徴があるということを最近つくづく思うので書いてみたいと思いました。日本の学生は、おそらく海外の一般的なピアノ学習者から見るとテクニック的には信じられないほどの完成度を持っているのですが、音楽としては何かが伝わってこないというか、何かがはっきり足りない、何かが絶対おかしい…音楽が本物っぽくない、と感じさせる演奏が多いのです。音楽的には十分に練られたであろう演奏であってもです。しかもちゃんと歌えているのです。フレーズ感も感じられる。表現力もある。でもなぜか感動がない、何を言いたいかが分からない、というような演奏です。

それについて私ははっきりわかったのですが、これは言葉で意味を伝えるのと同じようなことだと思うのです。まず第一にそれはアクセントであり、抑揚であり、確固とした強弱の表現、文節の捉え方、喋り方、そして音楽の把握の仕方です。そしてあまり日本語では馴染みのない「アーティキュレーション」も。
それから全体的に「音が弱い」と感じる演奏が多いです。肝心な音が聞こえてこない。それは奏者自身が「絶対こうしたい」という強い信念を持って演奏していないからだと思います。「このフレーズの中ではこの音が一番大事!」とか「この和音はどうしてもこういう響きにしたい!」とか。

今クラシック作曲家の主要レパートリーは、(特にピアノ作品は)おそらく9割はヨーロッパ起源(ロシア、スラヴ系も含む)なのですから、例えばピアノの学生はヨーロッパへ留学することが多いと思います。そこでまず立ちはだかる問題として、言語が違うということを知ることになります。日本語の抑揚は割に平坦なものです。日本人は普段アクセントや抑揚をあまり意識して話すことはないでしょう。日本語が母国語の人は、ヨーロッパの言語に触れなければ演奏においても獲得できない何かがあるように思います。例えばアーティキュレーションがなぜ大切かと言えば、ある音とある音の間は文節的に必ず切る必要があるのに、もしそこを繋げてしまったらアクセントの位置も変わるし(というかアクセントがつけられない)、伝えたい言葉(内容)も変わってしまう、ということがいくらでも起こるからです。これをおそらく重要視していない音楽学習者は多いのです。

もちろんそういうことを学ばなくても素質的にわかる人がいて、教えられなくてもちゃんと正しいアーティキュレーションで演奏できている人もいます。それはもちろん勉強して学んだのかもしれないし、天性のセンスを持っている人なのかもしれませんが、その音楽の喋り方や発声の仕方、フレーズが示すものを正しく理解している日本の学生もいることはいます。コンクールでもそういうことを理解している演奏が聴けると、私などはものすごく評価してしまいます。それは一つの才能だとも思うのですが、おそらく教えたり教わったりできるものでもあると思います。それをなんとか理解して、魅力や説得力のある演奏ができる人がたくさん増えてほしいです。

それはカプースチンでも同じで、音はちゃんと正しく並んでいるのになんとなく「ノリが出ない」とか、魅力的な演奏にならない、ということがあると思います。カプースチンに限って言えば、特にジャズっぽいメロディやパッセージではアクセントの位置がものすごく明確なのです。例えば2つの音があったとして、どちらの音のほうが強くてどちらの音が弱いかの関係が逆になることはあり得ないし、つなげるべき音と切るべき音が一つのフレーズの中に混在することもあります。そのようなメロディを無意識に全部つなげたり全部切ったりして弾いている人もいます。音を切り離す必要がある場所がわかるセンスが大事なのだという言い方もできるかもしれません。
でも楽譜にアクセント記号が書いてあるなどヒントもあるのに、その本当の意味を考えないで弾いている人が意外に多いようなのです。それはクラシックだけをやっていた人でもそうですし、ジャズをある程度嗜んできたような人でもカプースチンの意図を正しく理解していない人もいるように感じます。あまりに高速なテンポで演奏されていたりするとそんなこと意識さえしないという人もいるでしょう。
もちろんいろんな解釈があるから自由に弾いても良いとは思うものの、やはり演奏に曲の魅力が出せなければカプースチンが楽譜に書いて作品を世に残したことに意味がなくなるので、そこだけは理解してほしいと思う気持ちはあります。

カプースチンの演奏についてはなぜそれを誰も言ってくれないかというと、ジャズマンなどそれがわかる人はもう最初からできているし、逆にクラシック分野の人たちは他の作品の勉強だけでも忙しいからだと思います(笑)。知るべきこと、やるべきことがたくさんあります。バロック音楽でもショパンでも、日本人(日本語話者)にとって正しいアーティキュレーションや抑揚を学ぶのは至難なのです。そういうわけで、このことについて私は今後少し体系的に語っていけるように頭の中をまとめておきたいと思っているところです。

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