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ピアノ演奏における「創造力」とは?

楽器を演奏するために「創造力」は必要なのか?という話です。

ピアノの勉強の目標は、まず楽譜に書いてあることを理解して演奏できるようになることです。演奏は再現芸術ですから、まず何もないところから音楽を生み出した作曲家がいて、そしてそれを演奏する人がいるというわけです。そうすると演奏者の創造性とは何だろうか?という素朴な疑問が沸きます。表現力の話の前に、まずこれを考えてみたいと思います。

「創造」というのはモノを生み出すことだから、作曲あるいは編曲をするというのならわかるけれども、演奏するために創造力は必要なのだろうか、と考える人はいるでしょう。でも実際、ピアノを弾けることは弾けるけれどもその内容(音楽表現)がなかなか…、と感じている学習者も多いと思います。これがピアノのレッスンの難しい部分でもあります。どうしたらもっと上手くなるか。表現は、曲をどう解釈するかだけの問題か、それとも、やはり「創造力」が何か必要なのか。演奏というのは、楽譜が読めれば音は誰でも出せてしまう、だから演奏者には作曲家と同じほどの強い音楽的欲求や感受性がなかったとしても、それなりに演奏ができてしまったりします。でも、これが良くない場合もあるわけです。やはり創造性は必要なのですね。

でも、先生には「正しく楽譜を読みなさい」とか「楽譜にもっと忠実に」とか言われると、勝手に音やリズムを変えてはいけない。一体、演奏においてどうやって創造力を発揮したら良いのか、わからなくなってしまうことがあると思います。

外国人のレッスンで、教授が生徒に「ここは自由に」という表現をすることがあります。例えばドイツ語の”Frei”(自由に)がそれにあたりますが、これは日本語の「自由に」とはちょっとニュアンスが違います。日本語で「自由に」と言うと、なんだか自分勝手にどんなふうに弾いても良いのかなと捉えてしまいがちですが、“Frei”は「制約されずに」とか「束縛されずに」というようなニュアンスが強く、「自発的に音楽を自由に操る」、「作曲家自身になった気分で」というような感じでしょうか。テンポ感を、あまり窮屈に感じてがんじがらめになってしまってはいけないという意味合いもあります。

楽譜を読むときに、「何をしてはいけないか」を考えるのではなく、「どんなふうにもできるけれどあなたはどうする?」という考え方です。この転換が創造力につながると思います。例えば、テンポルバートが可能な場所(“自由に”といわれた部分がそうでしょう)で、どのフレーズを少し先へ急ぐように弾くか、どの部分を反対に少し遅れさせるように弾くか、このセンスでさまざまに違う音楽が出来上がることでしょう。

次回は実際の表現法ということを考えてみたいと思います。

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