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室内楽でのピアノの役割とは


先日大学で室内楽試験の審査をしていて思ったのですが、ピアノと他の楽器とのアンサンブルの場合、ピアノをどのくらいのバランスで弾いたら良いかがコツがつかめないという学生が多いように見受けました。ただ、そもそも室内楽でのピアノの役割を音量のバランスだけで考えるのはあまり良くありません。

やはり上手な人は、音のバランスなどを超えて他の共演者と完全に一つの音楽を作っているという印象を受けました。管楽器あるいは弦楽器とのデュオでは、ピアノはもちろん「伴奏」の役割を果たす部分もありますが、ほとんどの作品は二つの楽器が「対等」に書かれているように思います。例えば、よく私たちは単純に『ヴァイオリン・ソナタ』などという呼び方をしてしまうのですが、本当は『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』というタイトルが正式なものであることが多いのです。でも名前が長いので、どうしてもピアノ以外の楽器のほうをソリストと見立てて、その楽器のソナタであるかのような言い方をしてしまうのが通例です。

でも本来はデュオなら二つの奏者は完全に対等です。もちろんピアノという楽器はパワフルですので、コンチェルトを弾くようなスタンスで室内楽はできませんが、やはりピアノもソリストとしての魅力も一部持っていなければいけません。「室内楽」というだけでそこを勘違いしてしまうというか、その加減がなかなか掴めないという学生が多いように思うのです。もちろんそれは経験の量にも比例することかもしれませんが、やはり一つのアンサンブルとしてみた場合、デュオなら二人のソリスト、トリオなら三人のソリストがお互いに個性を持って主張し合い、同時に協力し合って一つの音楽を作るというイメージです。たとえ伴奏的な部分であっても共演者を引き立たせるためにどの箇所も生き生きと演奏するべきで、伴奏パートであってもモチーフの受け答えや対旋律などがあればそれをしっかり出してあげたり、音楽の方向性を明確にするようなディナーミクなどもはっきりと感じて奏してあげるべきだと思います。それが時としてまったく音やハーモニー感が聴こえない伴奏になっていたり、何をしたいのかがわからないようなパートとして延々と弾き続けるピアノ奏者もいます。

もちろん音量のバランスも考えなくてはいけないことの一つとして大事なのですが、私自身はそれを超えて音楽として表現したいことをしっかり表現してほしいです。デュオなら二人がしっかりとした感性を持ち、どちらの奏者も生き生きと演奏しているのが好きです。音楽へのはっきりとした解釈があって、奏者が能動的にそれを表現しているのを聴くととても嬉しいのです。だから少々ピアノが大きくなってしまっても良いから(笑)、音楽に対して自分が感じていることをしっかり表現してほしいと思います。どちらかと言えば、すごくおとなしい演奏になってしまったり、テンポやアゴーギクに関しても100%の自信がなく演奏している、というようなことが特に学生の演奏には多いように感じます。これがもっと貫録を持った演奏、というか、確信を持って生き生きと演奏されるようになるには何年かまだ必要になるのかもしれません。

室内楽作品は一般的には華やかでなく地味なジャンルに思われるような向きもありますが、いやいや「名曲」「傑作」もたくさんあります。先日の試験で聴いていてもそれなりに感動した演奏がいくつもありましたし、あとから頭の中で何度もそのメロディが出てくるような曲は、やはり実際に名曲であるのかもしれないなーと思いました。(実は先日聴いた室内楽曲のいくつかがまだ頭の中でずーっと鳴っていて少々困っているところです。(笑))

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