先日、清水和音さん(ピアニスト)と話していて、彼は最近聴きに行ったという外国人のある若手ピアニストを絶賛していたのですが、その人のレパートリーは、フレスコバルディなどバロックでもかなり古いほうの作曲家と、あとはベリオなど前衛というか現代モノだけだったとか。それがまたとても素晴らしかったということらしいのですが、レパートリーとして見ると、古典派からロマン派~近代というあたりがすっぽり抜けていて、ルネサンス~初期バロックとバリバリ現代しか弾かない(笑)らしい。たまたまだったのかもしれませんが、そんなピアニストもありという時代になったのかもしれません。
そうは言っても、クラシック音楽で重要なものはやはりバロックから古典派~ロマン派~近代あたりに多いことは事実でしょうから、引き続きピアノ曲のスタンダードな名曲というものを紹介していきたいと思います。
さてバッハの続きですが、先日挙げた曲はすべて最重要の作品なので、ピアノ学習者にはひととおりの知識と実際に演奏して指と耳で曲を一応知っていることは必須だと思います。
インヴェンションは、たったの二声で書かれていますが、右手と左手が別々のことを鍵盤上で行なうのは初級者にはなかなか至難です。旋律を「歌う」ということは、そこに内的な強弱表現が生じなければいけませんが、両手で別々の独立した感じ方をしなければいけないのです。つまり、まるで二人の別人が演奏しているように、フレーズも強弱も自分の思うようにコントロールできなければならないわけです。これがピアノを弾く上で最初に誰もが通る難関です。しかも、すぐその先には「シンフォニア」という三声を同時に扱う曲を勉強しなければならず、たった2本の手で三声を処理するというのは、私自身が子供時代に感じたことですが「これは絶対に無理だ」と思いました。(笑)
それでも人間というもの、熟練していくうちに信じられないことがだんだんできるようになるのですから不思議なものなのですが。
バッハを理解するには、やはりカンタータや受難曲のような声楽やオーケストラを伴う作品、宗教音楽の数々に触れていなければいけないでしょう。そして、オーケストラがどのように使われているか、またコラールや大規模な合唱曲の持つ響き、パイプオルガンの音色が生み出す雰囲気と多彩さなどが、無限の広がりのある音楽として頭のなかに鳴り響いてこなければいけません。たとえ純粋に器楽曲としてチェンバロを想定した楽曲であっても、そのような音楽的宇宙の広がりを自分の中に持っていなければ豊かな表現力は生まれてこないと思います。
無伴奏チェロ組曲のように、たった1本の弓でチェロを演奏しても複数の楽器で演奏されているような効果を生み出すことが必要とされるように、ピアノでもオーケストラのあらゆる楽器が聞こえてくるように演奏しなくてはいけない曲はたくさんあります。例えば、全48曲の「平均律」の中にもさまざまな曲種が散りばめられいて、奏者に豊かな音楽体験がなければ、すべての曲を魅力的に弾くことは難しいように思います。
バッハは、1713年頃にはヴィヴァルディなどイタリアの作曲家からも影響を受けて、作風に新しい要素が加わって音楽に魅力が増してきます。ピアノ学習者にとっては「イタリア協奏曲」は重要なレパートリーです。この曲は音楽的にも素晴らしく、そうしたイタリア的なものを典型的に学べる曲です。いわゆる、協奏曲風の雰囲気=Tuttiとソロが交代して進んでいく(ヴィヴァルディの「春」など思い浮かべると良いでしょう)音楽が持つ躍動感は独特のものです。これは古典派以降の音楽にはあまり出てこないものです。その種の音楽は、バッハのこの曲で勉強しておくのが良いでしょう。つまりクレッシェンドやデクレッシェンドを伴わなずにfとpを交代させるような強弱法、つまり階段状の強弱法(Terrassendynamik)の概念が必要なのですが、この強弱法さえちゃんと理解している人は少ないのです。頭で分かっていても、バッハの管弦楽組曲を聴いたり、バロック音楽の、それも特にこういうイタリア風の協奏曲形式の音楽をたくさん聴いた経験がないと、ピアノで演奏する際に自分でその雰囲気を表現することはできないのです。だから、たくさんの音楽を聴く経験が大事なわけです。モーツァルトのピアノ協奏曲やオペラの序曲などには、このイタリア的雰囲気はよく現れます。ベートーヴェン以降にはほとんど現れません。
バロック音楽特有の表現はバロック音楽でしか勉強できないものがありますが、それは決してその後の時代の作曲家を演奏する際に必要なくなるものではありません。やはり順を追って、知識的にも経験的にも勉強しておかなければいけないものがあります。そういう意味では、やはりバロック時代の多様なエレメントを持つバッハの作品は、現在のところ避けて通れないものがあるのではないかと思います。