ずいぶん空いてしまいました。
バッハの次に考えていたのは、実はハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという順に不滅のピアノ曲レパートリーを紹介していこうと思っていたのですが、ハイドンのソナタについて書こうと思った段階で、「ところでクラシック音楽の行く末はどうなんだろう??」とあらためて考えるものがあって、思考がいったん止まってしまいました。
一般にクラシック音楽はポピュラー音楽に比べて人気がない(認めましょう)のと、最近耳にしたのですが、ある大先輩ピアニスト先生が言っていた「もう君たちの時代は、これまでのようなリサイタルはなくなるだろう。昔の作曲家の作品をピアニストが弾いてただ披露するというスタイルの演奏会の時代はもう終わるだろう」という言葉が気になり始めました。というか、いつも考えていたことではあるのですが、たしかに大きな流れから見ると、クラシック音楽が今のままでずっとファンをどんどん増やし続けていくというのはあり得ない感じはします。だから、「この先、クラシック音楽を扱う演奏家はどう変わっていかなければいけないのだろう?」と真面目に考えなくてはいけないと思うのです。どう見ても、ポップスの人気の凄さを見ると、クラシック音楽は多くの人に求められているものではないとは思います。
だから、例えばハイドンの作品ばかりを深く追求したり研究したりすることは、この時代には必要のないことかもしれません。過去に逆流することになってしまう感じがします。今の若者だったら、誰でもハイドンよりもカプースチンのほうにより魅力を感じると言うのではないでしょうか。カプースチンを弾く前に、ハイドンの曲をすべて勉強せよとはもう誰も言えないでしょう。
ただ、ピアノを勉強したいと思う人は、将来たとえ芸能系やメディアで活躍したいという理由で始めたとしても、通常はクラシック音楽から入るはずです。ピアノ教育の現場はそのようになっています。「私はポップスが弾ければ良いのです」という人には違うやり方もあるでしょうが、でもそれでは一生ショパンは弾けないでしょう。それで良いのならもちろん良いわけですが、普通にピアノが上手くなりたいと思っている人は、当然の道筋としてクラシック音楽を勉強することになると思います。そうなると、バッハかその時代あたりの作曲家から始めて現代に繋がるひととおりのスタイルの音楽を勉強していくことになると思います。その流れの中に音大のピアノ科もあるわけです。いわゆるバロックから近現代まで。過去から現在まで非常に多くの作曲家が存在しますが、それをひととおり勉強した上で、特に自分が気に入った作曲家のことは深く勉強しても良いと思うし、そうしたいと考える人にとって今の時代はかなり恵まれていると言えるでしょう。ただ、すべてを深くやっている時間はないと思うし、やる必要もない時代に突入したかもしれません。
私が挙げようとした10人の作曲家のもっとも定着したレパートリーというものも、そういう観点から見るとあまり意味をなさないかもしれないと思いました。究極的に大事なのは、音楽(すべてのジャンルを含む)の本質をつかみ、数多ある音楽の中から自分が本当に良いと思うものを選びとって、それを自分なりにオリジナルな手を加えて大衆に向けて提供していくことだと思います。現代の作曲家カプースチンもそのようにして自分の芸術を完成させた一人ですし、演奏家であっても、同じようにして現代の時代に合った発信というものを考えていかなくては今後生きていけないかもしれません。
ただ、クラシック音楽というものは、大衆性がないというだけで価値がないとは言い切れません。また、ポップスのほうがすぐれていると言いたいわけでもありません。やはり芸術の高みを目指して無から有を生み出してきたクラシックの作曲家たちの作品はとても素晴らしいですし、決してクラシックとは古い音楽だけを指すのではなく、今も新たな高みを求めてこれまでになかった音楽を創造し続けている作曲家もいます。その人たちは来たる未来に「クラシック作曲家」と言われる人たちです。
さて、今日は福岡に来ています。
明日から2日間、飯塚新人音楽コンクールのピアノ部門の予選会があります。皆さんの演奏を聴かせていただくのが楽しみです。
きっと新しい発見が何かあると期待しています。