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人前で演奏するということ

家でピアノを練習している時に、“楽しい”と感じる瞬間は誰でもあると思います。ずっとそのように一人でピアノを弾いていられたら楽しいわけですが、その行き着くところには「人前で演奏する」という行為があります。それは、他人に聴いてもらいたいという自然な欲求でもあって最初は嬉しいもののはずですが、これがだんだん苦しみを伴なうものになってしまうこともしばしばです。それは、決められた日時までに100%以上自信がつくところまで練習をしなければいけなくなるし、十分練習できたと思っても、間違ったり弾けなくなってしまったり暗譜を忘れたりする恐怖といつも戦わなくてはいけないということです。コンクールなどの本番のための準備となると、さらに精神的負担は多くなり、音楽を楽しむどころではなくなります。

最近(というより以前から)強く思うのですが、演奏家、又は人前で演奏しなければいけない人には、二つの異なった才能が必要だと思います。一つは、演奏の技術や音楽性そのものの質が高いこと。もう一つは、人前であがらずに弾くという才能です。どちらも良い音楽家の条件ではあると思います。この二つはまったく別のものなのですが、一般的にはこれらをひっくるめて「実力」とか「才能」だと言われています。舞台でなされた演奏の良し悪しについては、聴衆の耳にはその演奏者の音楽性や技術そのものの問題なのか、練習不足や暗譜の問題か、又はあがり症によるものなのか、それともまったく別のことが問題なのか、それを見分けることは難しいでしょう。コンクールでも、審査の先生方はコメントを書きますが、たとえ音楽的な部分でその演奏に問題点を感じたとしても、本人の状況がわからずに全然本質を見ることができていない場合もあり得ると思います。

演奏技術が高くてしかも人前であがらない性格の人がいるなら、その人は本当に音楽家になるべきでしょうが、普通はなかなかそうはいきません。上の二つの才能は分けて考えるべきで、それぞれ50%ずつを占めると言っても良いくらいだと思います。すごく才能があって音楽家を目指しているのに、人前ではどうしても上手く弾けないという人は、あがらないために練習を十二分にするとか、暗譜を完璧にする、イメージトレーニングをやるなどの努力を人並み以上にする必要があるし、逆に心臓は強いけれども音楽的能力がもう一つ足りないという人であれば、純粋に音楽的感性を磨いたり技術を磨いたりすれば良いでしょう。しかし一般的には、多くの人は家で弾くのと同じようには人前では弾けないのが常だと思います。これを一致させるために、いや、本番でこそ良い演奏ができるために毎日の練習というものが強いられるわけですが、人前で演奏するということは、これは本当にいくら熟練しても十分すぎるということはなく、演奏するたびに毎回大変な厳しさが求められるものなのです。
自分の能力をよく見据えていつも万全に練習して準備できれば、「ピアノを人前で弾ける」ってこんなに楽しいことはないはずなのですが…。

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