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音楽家を志す理由

音楽をやっている人に、あまり「勉強」というものに熱が入らないのには理由があると思います。

そもそも「音楽をやりたい」と思うきっかけは、頭で考えたわけではなく、「好きだから」とか、「楽しそうだから」とか「感動したから」などという感情的なものだと思います。まずは楽器を習い始めて、そしてひたすら上達を目指して歩んできた人が多いことでしょう。音楽にはワクワクさせる何かがある。あるいは音楽で気持ちが発散できるとか、達成感があるとか、楽しいとか、心が揺さぶられる感動を経験するとか、優しい気持ちになれるとか、ほかのものでは代用できない計り知れない価値がいろいろあると思います。

音楽への情熱は、一つにはこれを伝えたいというところから始まるでしょう。「自分にも何かできるかもしれない」という期待感です。そして多くの人を感動させられることを夢見て、技術を磨いていきます。それは大きな喜びです。楽器演奏の技術や表現力というものは、上を目指せばどこまでも高いところまで行くものだと思います。本当にすごいところまで行けば、その人の存在は社会的に大きな意味さえ持ってきます。

私は小さい頃から、モーツァルトやショパンが生み出した数多くの曲を聴いて、これは本当にすごいことだなと、子供の頃からその事実に驚愕していた者の一人です。そのことに心を動かされました。そしてピアノに熱中するようになったわけですが、今でもその気持は薄れていません。もちろんそのような興味の対象が、年月を経てショパンからカプースチンに移っていったりということはありましたが、音楽そのものに感じる価値と、良いものを産み出したいとか、良いものを育てていきたい、あるいは伝えていきたいという情熱は変わらないような気がします。

専門的にピアノを勉強していくにしても、ただ自分が好きだから、という理由を越えて、その先にもっと大きな目標や目的を考えていかなくてはいけないと思います。それは、音楽を志望する人なら大学在学中あたりに考えるべきことかもしれません。

自分の才能と技術を磨くことは当然ですが、それがどのような段階にあるかに関係なく、あるいはどれだけ可能性があるかに関係なく、自分が素晴らしいと思うものを徹底的に追求していくこと。そうすれば、自分が認められるかどうか、自分が成功できるかどうか、ということを越えて、いずれその人は素晴らしい仕事をしていくことになると思います。そしてその時には、そのことが人々に喜ばれていると思うし、自分の勉強に終わりがなくなります。そういうことを感じる瞬間が必ず来ると思います。

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