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NHK「クラシック音楽館」角野隼斗~ピアニストは時空を超える~感想


先週の日曜日に放送された角野隼斗さんコンサートとインタビューによる「クラシック音楽館」の録画をようやく観ることができました。

最近はさまざまな媒体でとても露出が多くなってきた角野さんですが、映画やテレビで彼の演奏や喋っているのを聞いて自身の世界をますます発展させていることに感銘を受けました。最近の彼のコンサートのスタイル、グランドピアノと細工されたアップライトピアノとシンセサイザーを3台並べて行う「クラシックコンサート」は珍しいでしょうし、これはおそらく彼自身の発明なのでしょう。

曲の組み方もよく考えられていて、自作の曲をあれだけ披露しながら、その合間にクラシック曲をそのまま弾くスタイルで入れていく。あるいはいくつかはそのままではなく、途中からアレンジを入れて次の曲につなげたり、あるいは単につなぎの曲を作曲して挿入していくという方法もとる。

これらは彼自身の音楽的アイデアによるものですし、独創性に満ちていて彼にしかできないことをやっていることは確かです。しかも彼は現代におけるクラシック音楽のあり方、というものをいつも考えていて、過去の音楽であるクラシックを生き生きと蘇らせて伝える、という役割を自己認識していて、その辺りの自覚もすごいと思います。その中には多くの人が学んでも良いものを含んでいると思いました。

実際のコンサートでは彼が作曲した作品の位置づけがけっこう大きいこと、そして作曲やアレンジ力を発揮しているにも関わらず、おそらく彼はあのスタイルのコンサートを「クラシック」であると認識している(音楽には他のもっと多様なジャンルがあるので)であろうことが、ある意味で驚くべき視点だと思うのです。もちろん時代が変わってきていることも確かなことで、彼はクラシック音楽にもひょっとしたらまだまだ計り知れない可能性があるということを言っているとも言えます。

作曲の能力やセンスは、そのピアニストがそれを持っているかどうかによるところも大きいです。誰もが真似できるものではないでしょう。とは言え、その人だけが持つ芸術的センスというのは誰にも必ずあると思うので、それを磨いて膨らませていって自分の世界を作ることは誰にも可能でしょう。クラシック音楽の勉強では、楽譜にがんじがらめになってしまうという傾向も長く存在していました。楽譜に書かれたこと、ひいては作曲家の意図を読み取ったり、その音楽を深く正しく理解しようとしたりすること、また演奏技術そのものを磨くこともとても大切なことなのですが、その先に自分のオリジナリティを確立しなければいけないという課題は残ります。

今の時代、音楽家の卵たちはオンラインで動画配信をしたりして売り出すことからキャリアを始める人も多いですし、実際にそれがきっかけになってさらに大きなムーヴメントになっていくケースもあります。そしてさらに自分の独自性を磨いていくわけですが、自己プロデュース能力がとても大事に時代になっています。新しいアイデアを出す能力もますます重要になるでしょう。
また、オンラインの世界とライブの世界はそれぞれ分離していて、それらはどこかでつながってはいるのですが、それぞれ役割や利点などが違うので、それらを上手く活かしながら活動のあり方を作っていくというスタイルはこれからも続いていくのだろうと思います。

角野さんはあれだけクリエイティブでいながら、純粋なクラシックのコンサートの企画もあるようで(例えば12月に東京芸術劇場で彼と彼の師でもあるジャン=マルク・ルイサダとのピアノデュオのコンサートがあるようです →関連記事)、これからも意表を突くスタイル、というか、ピアニストとしての幅広い活動のあり方を見せてくれるのだろうな、と思っているところです。

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