ピアノを弾く学生はますます増える傾向にあるように感じます。
その中で若いピアニストたちは今後どんなふうに身を立てて活動していくべきでしょうか。
音楽大学のピアノが専攻のコースでは通常もちろんクラシック音楽を中心に学びます。クラシックはピアノ演奏においても基礎力として重要だからです。というか慣習的にそれが普通で、たとえ作曲から数百年経っていたとしても、現在まで残っている作品ならできるだけいろいろなものをたくさん勉強するわけです。それが音楽のセンスや楽器演奏のテクニックを効率的に学ぶには最も早道であるからです。
ただ、今の時代はクラシック作品の演奏だけでどれだけ多くの聴衆にアピールすることができるか、という問題はあります。それからリサイタルなどの形式も変化し始めているように思います。少なくともこれまでとまったく同じやり方ではきっと先細っていくでしょう。ピアノが上手く弾けることはもちろん必須なのですが、それ以外にプラスアルファの要素をどのように付け加えるかでその職業演奏家の個性は決まってくるでしょうし、どれだけその人が売れるかにも関わってくると思います。
クラシックでは基本的に作曲家を尊重するので、楽譜を正しく読み取り、あるいはどう解釈するかという点で演奏家の役割があるわけです。ただ、演奏家の仕事としては楽譜どおりに弾くだけでは足りません。でもクラシック音楽そのものに勝手にアレンジを加えたり、作曲や即興などは基本的にはしません。なので、それ以外の部分で個性や自分の主張を出していかなければいけません。
個性を出す一つの方法は「選曲」です。リサイタルを行う際に、弾く曲や曲の順番、プログラムの組み方で創造性を発揮することはできます。あまり知られていない傑作を発掘したり、知られてはいても演奏される機会の少ない曲を演奏したり、あるいは曲の効果的な使い方や意味付けなどで創造的なアイデアを提供することはできるでしょう。実際にコンクールなどでも上位入賞する人は、自由曲の部分で自分の感性やアイデアを必ず盛り込みます。
最近コンクールで演奏される曲は変化してきているように思います。創造性という観点から言えば、珍しい曲や思いもつかない選曲をしたり、選曲の理由をぜひ聞きたくなるような魅力的なプログラミングをするピアニストもいると思います。2021年のショパンコンクールでは1位を獲得したブルース・リウさんがショパンの作品2の『「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲』を弾きました。その年のコンクールでは彼以外にも数名がこの曲を演奏しました。そしてそこから入賞者も出ました。この曲は本来はオーケストラとピアノによる編成の曲で、けっこう近年にポーランドのナショナル・エディションでピアノソロで演奏できる楽譜が出版されるまでおそらく誰もピアノ1台で弾こうとはせず、ショパンコンクールで演奏されることももちろんなかったと思います。それが突如としてこの作品が複数のピアニストによって演奏され、それらが素晴らしい演奏で入賞までしてしまう、という状況を見ると、やはり選曲にも大きな変化が起きていると言えます。こういう作品を演奏するという可能性を含めて、やはり選曲のセンスが演奏者にとっては重要でしょう。同じくこの回で入賞した反田恭平さんも選曲にはかなりこだわったということを言っていした。
ショパンの作品2のように、本来はピアノソロの作品ではない曲が他のコンクールでも弾かれる例は多くなってきました。ラヴェルの『ラ・ヴァルス』などもソロで弾かれるようになって久しいですが、それまでは2台ピアノ版で演奏するのが普通で、誰もそれをソロで弾こうと思う人はいませんでした。クラシックのコンクールでは、アレンジされたような作品は選曲できないことも多いのですが、これも傾向が変わってきているようにも思います。
アレンジとは違うかもしれませんが、例えばラフマニノフの『ピアノソナタ第2番』は作曲者自身によるものが初期の版と改訂版の両方があって、おそらくどちらもコンクールで演奏されることはあると思います。このソナタには他にV.ホロヴィッツが弾いた「ホロヴィッツ版」があって、これをコンクールで弾く人がいてもダメとは言えない、というようなことになるかもしれません。私がもう10年以上も前にイタリアのペルージャ音楽祭でアメリカから来た学生がこの曲を弾いていてレッスンをしたのですが、彼女はこの曲をオリジナル版でもホロヴィッツ版でもなく、さらに自分独自のバージョンにして弾いていました。また、音楽祭期間中に講師陣のメンバーの一人だったピアニストは、自身のリサイタルでベートーヴェンの変奏曲の曲間に自作の即興的なブリッジを入れて弾いたりしていました。それがまた素晴らしかったのです。あるいは学生の中にも自作曲をレッスンや本番で披露してくれた人もたくさんいました。
特筆すべきは、上のエピソードはクラシックの音楽学生を対象にした音楽祭であったことです。これらはすべて創造性ということになりますが、クラシックの演奏家であっても今後は創造力やアイデア力がとても大事になるのではないかと思います。最近ではバッハの組曲などを弾く際に、リピート後の2回目では同じ音楽でも奏者が装飾を入れて弾いたりします。本来バッハのそういう作品では演奏者のセンスで1回目とはまったく違うふうにたくさんの装飾を加えて演奏しても良いので、実際に国内のコンクールでもそのような演奏を耳にすることが多くなってきたように思います。逆に何か工夫をしなくては面白くないとも言えます。なので、クラシックは楽譜どおりとは言っても、やはり作曲能力やアレンジ、自分独自のアイデアを出す発想は常に持っていないといけないと思います。
ただ、クラシックをひと通り勉強するということもやはり大切で、あまり大きく抜けている部分があると新しいアイデアは出てこないことと思います。例えばバロック音楽はまったく知らないとかではまずいでしょう。今は何でも手に入るので、例えば音源にしても、少しの努力をすれば短期間ですごい分量の音楽を知ることができます。私などは子供の時にショパン全曲録音やベートーヴェンのピアノソナタ全曲録音のCD(実際はLPレコード)を数十枚組で高いお金を出して買って、それを全部聴くことでようやくすべての曲を知ることができたわけですが、今ではそれほどお金もかけずに全部聴こうと思えば聴くことができます。逆に今は音源が溢れすぎていて、自分が気に入ったものだけ、あるいは一番最初にアクセスしたものだけを聴いて終わってしまう、という信じられないようなレベルで満足してしまう危険性もありますが、やはりそこは少し努力して本当に自分が勉強したいと思うもの、気になっているものならやはりいったん全部を聴くべきだと思います。必要なものを取り込むという勉強をできるだけ早く終わらせて、自分の中に一定の知識を蓄積&醸成していく上で自分独自の新しいものが生み出されるはずです。
そのようにして、勉強すべきものはいち早く全部網羅してしまい、そこに自分の個性を付け加えられるように、自分の得意分野を早めに見つけてそれを磨いて将来売っていく準備をしていくと良いのではないかと思います。
ピアノの音楽学生を想定して書き始めましたが、少しとりとめなく長くなってしまいました。