演奏にはInterpretation(解釈)が絶対に必要と言いましたが、ではどうすれば自分の解釈に自信が持てるのか? クラシック音楽に対しては自分独自の解釈などは出てこない、と言う人もいるかもしれません。もちろん若い人であれば、音楽的知識や経験がまだ浅くて何のアイデアも出てこないかもしれません。でもたまに子供でも天来的に音楽センスを持っていて、ある曲に対してはその音楽の本質を直感的に感じることができる人もいたりします。もちろんそのような感性を大事に育てることも必要なのですが、まず大事なのはすごくたくさんの演奏を聴くことだと思います。さまざまな種類の音楽に触れることです。それによって自分の感性も磨かれます。多くの場合は、単に曲を知らない、あまりいろんな曲を知らない、だからこの曲もどう捉えていいかわからない、というようなことだと思うのです。
まずは自分が勉強している楽器の演奏者が演奏している表現からさまざまな音楽的ニュアンスや雰囲気を感じ取ること、そして実際に自分でも弾いて独自の表現力をつけることが大事です。ただ、本当の説得力を持つ解釈ができるようになるためにはもちろん年季は必要だと思います。基本的に自分自身が人生で経験してきたことしか演奏に現れることはないとも言えます。円熟した音楽的感性が出てくるにはもちろん時間も必要だと思います。
それでも、少しでも音楽の本質に近づけるよう自分の持っているものを総動員させて演奏に向かうことが大事です。頭でよく考えることも大切ですが、でも考えるためにはその取っ掛かりとなる知識や音楽経験も必要です。不思議なのですが、楽譜に書かれていることは同じでも、演奏者によって本当にそこから出てくるものが違うのです。あえて言えば、あらゆるクラシック作品の中で古典派の作品が一番解釈の余地が少ないとは言えるかもしれません。その音楽のスタイルや雰囲気、ベートーヴェンに一番よく見られるように強弱記号を初めとしてかなり細かく作曲者の意図が指示されている音楽もあります。それでも演奏者によってその演奏からまったく違う印象を受けたりするわけです。だから楽譜に書いてあることをただ再現するのではなく、やはりそこに演奏者のスピリット(精神性)が加わらなければ聴衆の心に訴える演奏にはならないということでしょう。
「作曲家は当時きっとこのように演奏しただろう」と想像してそれを再現しようとするのはナンセンスだと思います。演奏に「正しさ」というようなものがあるわけではないのです。
演奏者によるInterpretationが大切なもう一つの理由は、それは現代人は新しい耳を持っているからです。つまり、過去の作曲家が作曲した時点ではまだ存在していなかった音楽を現代では皆たくさん聴いているのです。ジャズやロックも経験しているし、もっと最近の音楽にも耳が慣れているし、ロマン派の作曲家たちだったらきっと聴き分けられなかったハーモニーやリズム、多用な音楽表現を現代人は知っています。
だから今のピアニストは、ショパンが生きていた時代とも違う、あるいは20世紀に流行った弾き方とも違う、現代人がより理解できる表現を目指すべきなのです。そうでなければ現代人にアピールできる演奏にはならないはずです。それは決してショパンから離れるのではなく、表現形態として当然必要とされる感性でもあると思うのです。だから、どういう演奏が正しいかということではなく、常に自分の感性を更新し続けてこれからのクラシック音楽にも当たっていかなければいけないと思います。
ちょうど昨日あたりからワルシャワではショパンコンクールの一次予選も始まったばかりのようですね。前回のコンクールではこれまでとは明らかに違った現代的で個性あふれるコンテスタントたちの演奏が新鮮でしたが、さて今年のコンクールではどんな傾向が現れるでしょうか。とても楽しみです。