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カプースチンに至る道(回想風に)


今では当たり前に多くのピアノ学習者たちがクラシックのレパートリーとしてカプースチンを弾いていますが、つい25年ほど前にマルク=アンドレ・アムランが日本に来てピアノソナタ第2番を弾いた時はまだカプースチンの名前は誰も知りませんでした。その頃はちょうど私が東大ピアノの会など日本のアマチュアのピアノの会の存在を知った頃で、カプースチンとの出会いもそれと微妙にリンクしていました。その関連でまさにそのアムランなどとも直接の交流もありました。

その頃アムランはものすごく脂が乗っていた頃で、エチュードのような自作品を披露したり、またちょうどニコライ・メトネルのピアノソナタ全集(14曲+@)のCDを出したりしたところで、傍から見ていて「すごいなあ」と思っていたのを思い出します。2001年あたりがメトネル没後50年で私もよくメトネルなどを弾いていた頃だったのです。そしてやがてアムランもカプースチン作品を弾き始めたのを見て、どうなっていくのかと思っていましたが、意外に2枚分ほどのCDを出したらもうほとんど弾かなくなってしまいました。オール・カプースチンのリサイタルなどもすぐにやらなくなってしまいましたが、それはひとこと「大変過ぎる」ということでした。まったく同感でしたが、私はその後ずいぶん引きずってしまいました。オール・カプースチン・プログラムのピアノリサイタルを何度も行なった記憶がありますが、今考えるとそれは少しやり過ぎだったように思います。

ただ、カプースチン作品に特化したCDを8枚録音したこと、生前のカプースチンに6回会いに行ったこと、「カプースチン祭り」のような大勢でのカプースチン・イベントを15回以上企画したこと、カプースチン公開講座を全国で100回以上やったこと、世界初演を40作品以上やったこと、カプースチンの楽譜を100点以上校訂したこと、本を著したことなどは無駄ではなかったと思います。それがあってここまでのカプースチンのステータスを作れたのかもしれません。ただ、最初はほとんど一部の人たち以外からは無視されていたような状態が長かったので、今の状況は少し信じられない気もします。

もはや大物と言えるような風格を持って活動中の日本の若手たち(角野隼斗さんや、我らが辻井伸行など…)がカプースチンを華やかに披露したり、海外の実力派若手ピアニストたちが多く取り上げるようになったり、あとは多くのピアノ以外の楽器奏者たちが世界中でカプースチンを弾いてくれるようになりました。このように順調に確実に広い世界に知られていく経路をたどる作曲家も珍しいと思います。こんな作曲家に出会ったことはつくづくすごいことだったと今感じています。

カプースチンの曲は音楽としてわかりやすいものもあるのですが、たくさんある作品の中には演奏する側から見るとどう料理して良いかがすぐにはわからないものもあります。また、一見わかりやすい曲に見えても、その曲の展開の中にまったく新しいテイストがあったり、音やリズムにもどう理解して良いかわからないものがあったりします。それは初期の作品においてもそうだし、中期以降では実際に複雑なものも少なからずあって、そのような部分は奏者のさまざまな音楽の知識や経験を総動員させて謎解きをする必要があります。それでも作曲家の頭の中の真相にまで迫れない部分がどうしてもあって、それがやはり天才と言われる人たちの特徴だとも思います。

作品の一つ一つは彼らが勉強してきたものの集大成でもあると思います。過去のあらゆる音楽産物を基礎として、そこにさらに独自の新たなインスピレーションが加わっています。だから、知れば知るほど深いものが出てくるし、そこからまた新しい解釈や感動が生まれたりするのです。作品を紐解けば解くほど、カプースチンも他のクラシックの作曲家たちと同じく偉大な存在だったのだなとつくづく感じているところです。

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