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ピアノは奥が深い楽器

これほど人々を魅了してやまない楽器はないのではないかとつくづく思います。
ピアノが上手であれば、音楽の世界で素晴らしい仕事をどんどん得て活躍していけそうな気がしますが、現実的には仕事に困っている音大卒業生もけっこう多いのは気になりますね。でも、なんとかこの社会や経済の仕組みを音楽家たちは少しでも良い方向に変えていかなければいけないのでしょう。

私が普段の仕事で一番多く関わりたいと思っているのは、やはり好きな(尊敬、あるいは敬愛する)作曲家に関するものです。バロックからウィーン・ドイツ古典派・ロマン派、フランス、ロシア等におけるレパートリーが多くを占めるのは当然です。たぶん作曲家の数で数十人ほどはいるでしょう。それに反して、とりたてて特別に敬愛しない作曲家は、歴史上の人たちについては知識的にはもちろん勉強しますが、あまり長い時間関わりたくなくなっていくのも事実です。こちらの数はもっと膨大です。例えば、何度その音楽を聴いても、また作曲家自身の説明を読んだり聞いたりしても理解に苦しむ、というようなもの。もちろん自分の感性とまったく違っても、理解できるし良いと思うものは世の中にはたくさんあります。未知のものと知り合うことはいつでも楽しいです。

私の近況ですが、最近はロシアンロマンティック・レパートリーを中心にたくさんさらっていますが、それとは別に、ここ数日エネルギーを費やしてやっているのは、カプースチンの諸作品、特にソナタ第1番(ソナタ・ファンタジー)の楽譜に指番号を書き入れる作業です。個人的には最近は最新のソナタ第16番にハマっているのですが、運指入れは楽譜編集の仕事につながるものです。ソナタ第1番(1984作)も確かに非の打ちどころのない作品ですが、16番ソナタ(2006作)も本当にすごい作品です。第1番から第16番までの年月の重みと、カプースチンの作曲の軌跡を辿りながら深い考えに耽っていると涙が出てくるほどです。つくづく天才のわざというものに。それほど感動します。16番ソナタは、70歳でよくぞこれだけの発想力と複雑さに耐える力があるものだと思います。いや、カプースチンにとってはそれほど複雑なことをやっているという意識はなく、これまでに積み重ねてきた延長線上で出来ているのだろうなと思います。だからこそ凄いのですね。ピアノ音楽がこれほど進化するとは、数年前の私には正直言って想像できなかったことでした。

ところで、ソナタ・ファンタジーの指使い、特に第4楽章で少し苦戦していますが、明らかに自分が4年前に弾いた時の指使いよりもベターな発想になっている自分に気がつきます。考えてみればその間、楽譜も出版して作曲家自身の指使いを知りましたし、当然といえばそうかもしれません。カプースチンの作品を演奏するのにふさわしい指使いというものが容易に見えてくるようになりました。今後は、私が運指を入れて最後に作曲家にチェックをしてもらうという手順で進める曲もありますが、もうほとんど大きな不一致は出てこないのではないかと考えています。

カプースチンの手癖は、すごく大雑把に言えば1や2の指を多用する感じなのですが、私自身は4の指を多用していたことに気がつきました。5本の指が均等だという意識がありすぎてもいけないわけですね。客観的には、カプースチンは1・2・3の指が強い人の発想、私は1・4・5の指が強い人の発想に見えると思います。実際にはおそらくその中間あたりが正しく、4・5が弱いのはもちろん困るけど、2・3が強いという当然の事実も利用して有利な指使いを選択する、という判断ですね。ピアノ演奏の「運指」ほど複雑なものはないとつくづく感じます。基本よりも例外の方が多いのではないかとさえ思えてきます。ピアノのテクニックはあらゆる種類の曲に対応しなくてはいけないから大変なのです。

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