ところで、ピアノを弾くことは本来は楽しいことであるのに、なぜか「練習はつらい」と言われることが多いのですね。先生から要求されることが、今の自分には信じがたいほど難しいことのように思われるのです。そして、次々に高度なことを要求されるわけですが、ちょっとやってみてできないと、自分には無理だと思ってしまう人もいます。でも、正しく練習しているうちに、少しずつかもしれないけれど、自分にもできることが増えていくのですね。長い年月を経る間に、100個も200個も小さな新しい技術が増えていく。その結果、気がつくと、あこがれていた上手な人と同じ曲が、自分にも弾けるようになっているのです。
テレビとかコンサートで、ピアニストの人が弾いているのを見たことがあるかと思いますが、みんな簡単そうに弾いているでしょう。それは、ちゃんとテクニックを持っていて良い弾き方をしていますし、楽譜をきちんと勉強しているということなのです。個性とか言って、音符をすっ飛ばして好きなように弾いている人はいません。ピアニストは、みんな几帳面なほどよく勉強していて、例えば外国の大柄な男のピアニストでも、手が大きかったりするにもかかわらず、繊細なパッセージを一音たりともおろそかにせずに弾いたりするのです。(そういう姿を見ると私も“健気だなあ”と思ってしまいます。) ピアノという楽器は、実はおおざっぱな感覚では勉強できないのです。(ごまかして弾くことはできても。) ピアノでなくとも、楽器を習得するというのは、それだけ大変なことなのです。繊細な感性と確かな技術が必要なのです。そういうものを身につけることが子供にも大切なことだと思います。
だから、ピアノは楽しく学ぶものだという意見には私も大賛成ですが、それと同時に、「ただ楽しいだけで良いのかな?」という問題もあります。ある程度、楽譜をきちんと読み、正しく弾けるようになるためには、「楽しい」だけではできないことがあるのです。子供のためのコンクールが現在いろいろありますが、決して“競争する”という意味ではなく、目的やモチベーションを強く持ってピアノを勉強していく、ということがとても大事なことだと思います。学校でも、もし“テスト”というものがなかったら、はたして子供は同じように勉強するかどうかです。学科の試験とは違って、ピアノの演奏を人前で披露することは、少なくとももうちょっと楽しいものだと思いますから、コンクールは「励みにする」というふうに考えてほしいと思います。
さて、ピアノを弾くことの精神的な面での効用を言いましたが、指を動かすことは身体の“健康”にももちろん良いようです。頭がボケないともよく言われます。私もその通りだという気がします。ピアノに向って、正確に、しかも心を込めて音楽を奏でるために繊細に指を動かすという行為は、他にはあまり似たものは見つかりません。まあ、パソコン操作でも確かに指は動かしますし、ほかにも手先を使う仕事はいろいろあるとは思います。私もパソコンでキーを叩くのに一応10本の指を使いますが、指の先端と、手のそれ以外の意識の集中の度合いということで考えると、その鋭敏さはピアノを演奏する時の“10分の1”くらいの感覚でしょうか。それほどの違いはあります。ピアノ弾きというものは、爪もいつもきちんと切っていなければならないし…、ピアノを弾く行為って、考えてみるとやっぱりちょっとだけ特殊なことかもしれません。