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新しい作曲家の位置づけ

一昨日、大阪で行なったカプースチン講座が、「久々」という感覚でした。
考えてみれば、昨年から今年の前半期まではカプースチン漬けとも言える人生でしたが、今はそうでもないので、普通の生活をしていて「いざ、カプースチン講座!」となると、モードを切り替えるのに数日前から準備が必要です。でも実際には24時間前くらいからその気になってみると、すぐに感覚が戻ってくるもので不思議でした。

カプースチンがやっと普及してきたとはいえ、実際に講座を30回以上もやってきた後の感覚としては、普及は遅々たる歩みだなーという感じです。確実にファンは増えているようではありますが、例えば、「10のバガテル」などはその中から半分も演奏されたという話は私の耳にはまだ届いてきません。出版されてからもう1年以上も経つのにです。でもまあ、きっとそんなものなのでしょうね。音大では演奏されますか?ともよく訊かれますが、例えば昨日行なった我が門下生の学内のミニ演奏会でも、普段勉強するレパートリーとしては、もちろんカプースチンはおろか、近現代の作曲家はほとんど誰も弾きませんでしたね。バッハからロマン派までの作品で90%を占めました。おっと、でもリゲティはいたな。

今日なんか、実はミシェル・ベロフが我が音大にいらっしゃって、ミニリサイタル&公開レッスンの授業があったのですが、彼は休憩なしでドビュッシーとメシアンのみで合わせて約1時間のプログラムを弾きました。はたしてこれを“ミニリサイタル”と言えるのか…。すごかったです。皆さん勉強になりましたね。でも聴講した数百人の学生のうち、いったい何人が今後メシアンを弾く可能性があるのかは責任がもてませんが…。

すでにレパートリーにきっちり定着している作曲家と、そうでない現代作曲家、もしくはかなり現代に近い作曲家の位置づけ方は、とても難しいし微妙だと思いました。音大においても、二つは同居しながらも分離しているというか…。

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