Site Overlay

カプースチンとショパンの関係


カプースチンがショパンについて語ったことがあったかな~?と考えてみると、クラシック音楽をすべて熟知しているカプースチンですが、意外にもロマン派の作曲家に対する言及は少なかったことに思い至りました。

私は生前のカプースチンと何百通というメールのやり取り、そして実際にも何度もお会いしてお話をしましたが、その中でクラシック作曲家とジャズミュージシャンについてはよく話に出てきました。彼はほぼ半々にどちらにも言及するような印象をずっと持っていましたが、よくよく考えてみると、例えばショパンに関してはある時「そう言えばショパンなんて何十年も聴いてないな~」と言ったとか、ブラームスのピアノ協奏曲に関してもカプースチンは弾いたことがあるというので、「ではあのパッセージはどう弾きましたか」という私の質問に対して、「いやもうそれ以前に音楽さえ忘れた」と言っていたような記憶もあります。(笑)

カプースチンは特に同時代の音楽(現代のジャズシーンなど)を追うのに忙しかったはずなのですが、それにしては過去のクラシック作曲家への言及が多いという印象でしたが、今考えてみるとやはりそれはおもにバロック時代ではバッハなどの作曲家、フランスの作曲家、ロシア近代以降の作曲家、あとは一般的に近現代の作曲家たちの音楽への言及が特に多かったかもしれません。古典派やロマン派の作曲家の音楽については、彼が本格的に作曲を始めるようになってからはあまり研究の時間や労力を割こうとしなったということなのでしょう。

さてポーランドでは1カ月も続くショパンコンクールが終わったところです。私はちょうど「カプースチン祭り」の月間と重なっていたのでまだあまり聴いていなかったのですが、皆さんの印象としてはどうだったでしょうか。もちろん入賞結果についてはすべての人にとってどうしても納得のいくものではないと思われることが多いでしょう。いろんな意味で完全にフェアに行うことは到底無理なことなのだと思います。

私が今回個人的に感じたことの一つは選曲に関することなのですが、前回まではそれでもまだ演奏される曲はバラエティに富んでいたような気がしました。特に思ったことはショパンにはあれだけ素晴らしい作品が多いにもかかわらず、このコンクールで聴ける曲はものすごく限られるということです。確かにコンクールで勝つことを考えるとどうしたってエチュードならこの3~4曲のどれかを弾くしかないとか、バラードなら4番とか、ポロネーズならこれとか、ある意味で選曲の幅が限りなく小さくなっていきます。あるいは今回は『幻想ポロネーズ』をファイナリストは全員弾かされたということもあります。ソナタとコンチェルトに関しては毎回必ず聴けるわけですが、ショパンの他の膨大なレパートリーに関しては、たとえ名曲であってもこのコンクールではこれからも絶対に聴くことができないだろうと思われる曲がたくさんあるわけです。そしてその傾向はこのままだとどんどんエスカレートしていきそうです。

今回はなぜか雰囲気として「競争」の要素がとても強く感じられた(選曲以外にも)し、もちろん入賞した人たちには大きな祝福が与えられるべきと思いますが、細かい順位に関してはある種の虚しさを感じる人もいたのではないでしょうか。大体、特に今回は政治的あるいは国際情勢的な理由でロシア人の参加が実質上排除されたり(世界が混乱している真っ最中なのです)、いろんな意味でフェアではない要素、これまでもそうでしたがコンクール当局や審査員たちによる毎回の審査方法の良し悪しなど、入賞者に与えられる順位の持つ意味や価値についてはますます意味が薄まっていくような歴史を作っていく気配を感じます。

ただこのコンクールに挑戦したコンテスタントたちにとっては、間違いなく自分自身が大きく成長するための素晴らしい場だったと思います。最近のピアニストはマルチな能力や趣味を持った若者が増えていますから、もちろんショパン以外の作品の演奏もすごく上手いとか、あるいはピアノ以外に得意なものや強みがたくさんあるという人も多く出てくる時代だと思います。多くの若者がこのコンクールでの経験は大いに糧にして、しかし結果には大きく左右されず、今後も大きな視野を持ってアーティストとして誇りの多い人生を歩まれることを望んでいます。

カプースチンとショパンという話題からだいぶ外れてしまいました。最後は「ショパンコンクール2025雑感」といった様相になってしまいました。

上にスクロール
Translate »