大変悲しいお知らせではありますが、カプースチンの奥様アッラさんも7月6日(ニコライ・カプースチンの葬儀の日)にお亡くなりになりました。
とても仲の良い夫婦でしたから、神様はずっと二人を一緒にしておきたかったのだと思います。
今頃はもう二人は天上の世界で再会していることと信じています。
私はカプースチン夫妻を本当に心の底から尊敬していました。
モスクワのカプースチン自宅には5回ほど訪れましたが、いつもとても親切に接してくださいました。あれだけの方でしたから世界のあちこちから会いに行きたいという人も多く、訪問させてほしいという申し出をいくつも受けていましたが、ほとんどはお断りしていたと言います。もちろんファンに会いたい気持ちはあったと思いますが、特に晩年はよほど親しい人以外は家には招待されませんでした。カプースチンはあまり外に出ないので、会うためには自宅を訪ねるしか方法がないのですが、実際に訪ねることができたピアニストは世界中から数名程度だったようです。
そのような状況の中、カプースチンは私が訪問したいと言えばいつでも「来ていいよ」と言ってくれました。一度は、日本からカプースチン・ファンを自称する私の門下の卒業生を2人だけ(J.EさんとI.Kさん)は連れて行ったこともありました。私が連れて行きたいという人は、初めての人でも嫌がることなくカプースチンは受け入れてくれました。その2人は今思えば大変ラッキーだったと思います。というのは、カプースチンに会えた日本のピアニストは、ほかにほとんどいないからです。あと会えたのは、松本あすかさんとデュオで活動していた西本夏生さんくらいだったと思います。
とにかく、2004年頃から私はロシア語を使ってメールを書くようになり、カプースチンととても親密になり、やがて大きな信用を頂くようになりました。ロシアの人はいったん心を受け入れてくれると家族のように接してくださるのです。特にカプースチンは、ほかにも世界に彼の曲を演奏する人は山ほどいるはずなのに、ピアノ協奏曲第3番や第6番、第5番などの大曲の初演を私に託してくださるまでになったのです。今考えると、信じられないほどありがいことだったと思います。本当に謙虚な大作曲家だったのです。(それは曲を聴けばわかるでしょう。)

2003年にお会いした時の写真
(カプースチンと奥様と一緒に)
私がお二人に最後に会ったのは2016年の4月です。
いつものようにご自宅に招待してくださり、私たち夫婦もすっかり家族ぐるみでお付き合いをさせていただいていました。近作の連弾曲を二人で弾いて聴いていただき「なぜかやっとその曲が好きになった気がするよ」などと誉めてくれたり…。
2014年から3回ほど会いに行きましたが、その頃はもう本人は会話をするのも億劫という感じで、おもに奥様のアッラさんとお喋りをしていました。何から何まで詳しく教えてくださって、アッラさんは音楽のことは素人だと言いながら、マエストロの作曲や作品のことについてもよく通じていました。私が日本にいる時は、大変な手間を取って新作のコピーを国際郵便で何度も送ってくださったりもしました。ずいぶん二人の手を煩わせたと反省していますが、お陰様で私も20年間ずっと演奏し続けてこれたし、考えてみればオールカプースチンのCDだけですでに8枚(8枚目は来月8月発売)、そして30作品を超える作品を世界初演するまでになりました。
カプースチン夫妻には本当に感謝の念に堪えません。
カプースチンという作曲家はいずれ世界に大きく認知されるだろうと20年前からずっと信じてきた私にとって、現実的にそのようになってきたことは本当に嬉しいことです。今後まだまだカプースチンの知られていない音楽が世界に広く行き渡ることを心から願っています。

2016年に、家内(ゆかり)と手を握るカプースチン
(これがカプースチンとの最後のお別れとなりました。なぜかこの時、涙が止まらなくて…。)