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ドイツの音大から

現在、我が大学にハノーファー音楽大学のピアノ科から交換留学生が来ています。ここ数年間、年に一度の割合で3週間ほどの短期留学で1人ずつ来るのですが、今回は私もレッスン担当の一人として指導しています。

今来ている留学生は、ハノーファー音大の私の尊敬する教授の門下の一人で、今回選ばれて来た大学2年生。向こうで1ヶ月後にリサイタルも控えているということで、大きなレパートリーを持ってきました。ある意味、ドイツの音大で勉強している学生の代表として来たわけですが、よくよく聞けば、「門下生が30人ほどいる中、ヨーロッパ人は私だけ」とのこと。「あとは韓国人がたくさんと次に中国人、あと日本人も少し…。」つまり門下生はほとんどアジア勢で、この感じはドイツやオーストリアにおいては、どの音大でもあまり大差はないのでは?というのが現状だと思います。特にピアノ科の学生は実際はこんなところです。
「門下生も全員よく知っているわけではありませんし…」とか言っていました。「だって、韓国人は一緒に集まって韓国語で喋っているし、ドイツ語できない人がほとんどだし。」状況はとてもよくわかります。日本の音大の状況とはもちろんまったく違います。国際的と言えばそうなのですが、状況は上に書いたとおりです。ハノーファーで勉強しているのに彼女は門下で唯一貴重なドイツ人というわけなのです。

演奏レベルは決して低くありませんでした。かなり良い方ではないかと思います。
いつも思うのですが、外国人(特に欧米人)のレッスンをしていると、レスポンスがあるのでとてもレッスンしやすいのです。そして、必ずどんな子も、性格は違えども自発的な表現力を持っています。だから話も通じやすく、会話はおおむね楽しいものになります。
日本の学生へのピアノのレッスンでは、えてしてこちらからの一方通行で、言葉が通じているのかどうかもわからない時さえあります。また、表現力も弱い人が多いので、すべてを教え込まなければいけないような感覚に囚われることもあります。この違いは何なのでしょうね。日本の子も、小学生くらいの時はみんなけっこう自分を主張したり、自分の好みを言ったり表現したりする力が決して無いわけではないと思うのに、いつの間にかだんだんそのような力が消えていってしまうような気がします。

まあ面白い子供もときどきいることはいますから、そういう時はとても嬉しくなります。日本では自己主張の強いタイプは生意気とみなされますが、私はそういう人のほうがどちらかと言えば好きかもしれません。だって、結果として生意気なままではやはり生きていけませんから、誰でもどこかでバランスをとるようになるでしょう。でも、もとより表現したい意欲がなければどうにもなりませんので。

例えば今日はショパンのバラードとノクターンを弾いてくれたのですが、そのドイツの子の演奏では、ある部分を意図的にfとかpで、あるいは音色に違いを感じて弾いているのが伝わってきます。楽譜に強弱記号が書いてあるかどうかということとは関係なく、「自分はこんなふうに感じている」ということが音として強弱表現としても現れてきます。ところが、日本の学生にはすべてがmfとかmpで、すべての音を均質な音量で単に並べているだけという演奏をする人がいます。どうしてそうなっちゃうのかな、と思うのですが、本当によくあるのです。

また、欧米の学生たちは、楽譜には書かれていないことでも良いアイデアをちゃんと持っていたり、あるパッセージをどんな種類の音で弾きたいかという意志をはっきり持って音を出すとか、日本人の特質にはあまり見られないものをたしかに持っているのです。そのあたりは、もちろん生まれた国の違いと言ってしまえばそれまでですが、やはり音楽の捉え方の原点に何か違うものがあるように思えてならないのでした。

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