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学生たちの演奏に思うこと

この時期、1月から3月にかけて実技試験の演奏を聴くことが多い(入試も含めて)ので、恐ろしいほどの人数の演奏を聴いていることになります。これだけたくさん聴くと、いろんなことを感じたり考えたりしてしまいます。

正直言って、上手い人もすごく多いです。最近は、特に東京音大だけで言っても、ピアノ演奏家コースの人のレベルは今もまだ上がり続けているように思います。すごく弾けるという人の人数が多いということと、そのレベル(テクニックも表現力も)自体が以前より高いと思われるのです。いろんな先生方が異口同音に言います。

ただ、上手な人も含めて私がいつも演奏を聴いて感じることは、日本の学生の演奏に関して思うことですが、一言で言って「線が細い」ということと「長いフレーズ感が感じられない」ということです。

「線が細い」というのは、音の厚みがないということでもあるし、音が一様な感じで、声部間に音色や音量の違いが少なく、立体的に聴こえず平面的に聴こえてくるということ。あるいは、音空間が広がらないというか、音楽を聴いていて気持ちがいいとか、音楽に酔うとか、強く惹きつけられるといった感覚を呼び起こすことが少ないということです。音量に圧倒されるということはありますが、厚みや立体感、色彩感を感じる演奏をする人は稀です。
音を鳴らして初めて聴こえてくる響きがあります。これを聴いて自発的な感覚を持って演奏しているかどうか、音を聴いた上で微妙な自分の中のバランス感覚を用いて、タッチやテンポや音量を調整することができているかどうか、という観点が大事だと思います。

欧米やロシアの人の演奏には、上手か下手かは別にして、それがはっきりと感じられるのです。これが大きな違いです。音の厚みがどうしても日本人の演奏には足りないものを感じるし、隣り合う二音間の引っ張り合う力が弱すぎるように思うのです。

「長いフレーズ感が感じられない」というのもこれに似た問題です。例えばロシアの作曲家の作品において、歌い上げられるべきメロディーが全然聴こえてこないのです。というか、そもそもまったく歌っていないように聴こえます。ある声部に明らかなメロディがあるのに、そのメロディを歌うことを完全に諦めているようなことがあります。かなりハイレベルの弾き手においてもその点はやはり感じることがあります。

自分の中で歌い始めると、自然にピアノの音も歌い始めるという現象は、私自身はヨーロッパで勉強している時に初めて経験したのですが、やはり日本では、風土というか響き方が日本独特のものがあって、本来的にやはり西洋音楽の楽器が理想的に響く空間ではないのかもしれません。やはり楽器はその国その国で発達したものだし、作品もそこで生まれたわけですから、これは根本的に仕方ないことなのかもしれません。

それにしても、この二点は日本人と欧米(ロシア)人の演奏の違いとして決定的にいつも感じる部分ではありますので、今後もピアノを演奏していく人は理解しておいて良い点かもしれません。

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