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「スタンダードなピアノ曲」の変遷

コンクールを受ける際に、「自由曲は何の曲を選ぶべきか?」と迷う人は多いのではないでしょうか。「何を弾いても良い」と言われたら、やはり同じ土俵で点数をつけられるのなら古典派以前の曲を選ぶのは躊躇してしまいます。まあせめてロマン派か近・現代の作品から選ぶでしょう。ただ、あまりにも現代の作品で誰も知らないような曲は避けたほうが良いでしょう。

そんなふうに、自由曲とは言っても、暗黙の線引きがいろいろあるように思います。また、音大の試験等でも同じことが言えると思います。レパートリーとしては、近年いろいろなものが増えていく傾向にあって、少しずつですがクラシックピアノの世界も変化はし続けています。

コンクールでは、「パラフレーズの類はダメ」というような不文律もありましたが、現在ではどうなのでしょうか。少しずつ「それもアリかな」というような感じになっている気もします。どちらかと言えばマイナーな作曲家にパラフレーズのような作品が多いと思われていたのかもしれませんが、スタンダードな作曲家とみなされているリストやラフマニノフにもそのような曲はたくさんあります。音大の試験でも最近はそういうのも大丈夫という感じになってきました。

リストは、例えば『超絶技巧練習曲』の前身にあたる作品として、若い頃に「すべての長短調における48の練習曲」(未完)と「24の大練習曲」(未完)を作曲していて、一応第3稿目の『超絶技巧~』が決定稿とされてはいますが、現在では古いヴァージョンも演奏されることがあります。「パガニーニ大練習曲」の『ラ・カンパネラ』もそうです。最近は古い難しいヴァージョンのほうを弾くピアニストもいます。ラフマニノフ編のクライスラーの『愛の喜び』や『愛の悲しみ』なども試験で弾いても私は全然良いと思いますし、モーツァルトのトルコ行進曲もオリジナルだけでは面白くないので、ファジル・サイの編曲ものを演奏会で普通に弾いたりする人がもっといても良いと思います。あるいは「展覧会の絵」をホロヴィッツ編で弾くのも自由でしょう。
パラフレーズや編曲は単なる「遊び」ではなく、例えば、他の作曲家の曲の主題を使って作曲されたマジメな「変奏曲」などと同等の価値を持った作品として捉えて良いのではないでしょうか。そういう作品も多いように思います。

特にクラシックのピアノの世界は「『楽譜』や『原典』に忠実」ということを非常に重んじる保守的な傾向が強かったわけですが、広い音楽の世界の中ではそれはけっこう特殊なほうかもしれません。ピアノ曲では楽譜の音を一つ変えることさえ許されない雰囲気が長らくありましたが、今はもう少し柔軟な考えにシフトしていっても良いような気がします。

話は少し飛びますが、一つコンサートを紹介します。

フランチェスコ・リベッタのピアノリサイタルが10月29日に浜離宮朝日ホールであります。


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作品はすべてイタリアの17世紀から20世紀までの作品で、プログラムを占めている作曲家はレーオ、ロッシ、マルティーニ、トゥリーニ、パラディシ、クレメンティ、ブゾーニ、レスピーギ、タヴァロス、カゼルラ、バッティアートとなります。よくこれだけ弾きますね。たぶん一般のピアノファンでも、この中で知っている作曲家のほうが少ないと言うでしょう。

このコンサートの企画をしたJK arts代表の木下さんは、マルク=アンドレ・アムランを日本に紹介した人です。コンポーザー=ピアニストへ多くのピアノファンを開眼させた功績があります。私も同時期にアムランを通してメトネルなどの作品に目を向けることになりました。
もう一人のアルカンの作品を弾くピアニスト、やはりイタリアのヴェルチェンツォ・マルテンポのリサイタル(11月2日)、その二人のデュオ(10月31日)とともに、JK artsが企画する演奏会に興味を持つ方はぜひ足を運んでみてください。その内容においては、おそらく「一度きり」のコンサートになるでしょう。(チケットご入用の方は、私の方へもぜひお問い合わせください。)

JK artsのコンサート情報

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