アメリカから帰ってきてすぐ始まった辻井伸行君のオルフェウス管弦楽団との日本ツアーは、今日が東京はサントリーホールの公演でした。たった今、私も聴いて帰ってきたところです。
オルフェウス管弦楽団は、「指揮者がいないオーケストラ」というのが特徴で、つまりメンバーが意見を出し合って合議的に音楽を作っていくというスタイルだそうです。コンサートマスターが仕切っているわけでもないというし、実際にはどんなふうに練習しているのでしょうね。もちろん合わせ自体は指揮者がいなくても可能だというのは想像できますが、練習をどのように進めているのかは興味があります。
とにかく、今日の演奏を聴いてみたところ、指揮者がいないということをまったく感じさせない自然な演奏でした。非常に質の高い演奏でしたが、僕らの耳はもう長年ウィーンフィルの音にとても馴染んでいるので、そういう柔らかな響きとはまた違って、少なめの人数でゴージャズ感を感じさせる演奏でした。辻井君は、このオケと今日はモーツァルトのピアノ協奏曲第26番『戴冠式』を共演したわけですが、彼のピアノのほうが、あらためて「ウィーン的」な音だなとつくづく今日は感じました。いつものごとく満場の聴衆からの大拍手でアンコールを2曲演奏。
それにしても、彼の演奏を久しぶりに聴いて、昔と全然変わっていないことにある種の感動を覚えました。もちろん実際は変わっていないなどということはなく、ずいぶん成長したでしょうしプロらしさも板につき、音楽的表現もずいぶん深まったはずなのですが、私の耳にはまったく昔のままという感じに聞こえるのです。どうしても客観的な耳で聴くことができないのですね。
きっとこれは、例えて言えば、親が自分の子供が親元を離れて成長して立派になって世間で活躍しているのに、久しぶりに会ってみると全然昔と変わっていない子供のままに見えるのと同じかもしれません。特に今日の『戴冠式』は、本人に言われて思い出したのですが、私が教えた曲だったわけで、それで昔の感覚を思い出してしまったのかもしれないし、カデンツァにしても(今日の自作の演奏は素晴らしかったです)以前やらせた時にも自分のカデンツァを創らせていたから、彼にとってはこのような協奏曲でのカデンツァ自作は当然の選択だったわけですが、そんなことも昔の通りやっていてすでに彼自身の個性になっているわけなのです。
とにかく演奏終了後には珍しく楽屋でゆっくり話ができました。こんなこと何年ぶりだったでしょうか。もう最近は平日夜の演奏会などは行けるはずがないので諦めていたのですが、なんとも珍しく決心して今日は演奏会へ行って良かったです。お母さんのいつ子さんとも久しぶりに話せて、今後はまたもっと頻繁に伸君に会いたくなりました。また一緒に外国旅行もしたいなあ。

