合唱のコンクールにおいても、1回のステージ(本番)はあっという間に終わってしまうものです。そう考えると、本番そのものよりも本番に向けての「練習期間」というもののほうが、より重要で大きな意味を持っているものだという気がします。合唱の練習は苦しいこともあるけど、皆で一つのものを作り上げていくという「一体感」を感じることができ、大きな喜びを伴います。これは感動体験です。
まさに、本番に向けての『過程』が素晴らしいわけで、練習している長い期間の中で、いろいろなことを発見したり喜びを感じたりします。高校生くらいだと、さまざまな刺激や楽しい出来事があって、一生の思い出になるドラマが生まれるたりもするでしょう。
『過程』に長い時間をかけて一つのものを作るということで言えば、例えば映画を撮ったりTV番組を制作したりするのも規模は大きくなりますが同じです。収録するまでにも企画の段階で多くの人が関わりますし、撮影にも長い日数がかかったりするわけですが、その過程が楽しいものだと思います。多くの人で何か一つのものを作る喜びは本当に大きいと思います。
それと比べると、ピアニストがソロのリサイタルを準備するほど孤独なものはないですね。本番はほんの一瞬なのに、その何十倍もの時間、独りでこもって何日も練習し続けなくてはならないのですから。外は天気が良くて気持ちが良いのに、毎日ただただピアノに向かって自分と戦うのみという生活です…。これはあまり健康的なことではないような気がするのですが、皆さんはどう思われるでしょう。黙々とピアノに向かって練習する『過程』で、多くの人と幸福を共有したり、人と関わることは少なくとも皆無です。(学生時代であればレッスンというものがありますから、自分だけでやっているという感覚はいくらか薄れますが。)
長時間ピアノだけに向かう不健康な生活を続けていると、そこからときどき抜け出したくなるのは自然な感情ですよね。もし、ある時期過度に練習をしすぎてしまったなと思ったら、やっぱり思い切って少し離れることが大事だと思います。もちろん、どうしてもやらなければならない時は、もうただやるしかないのですけれども…。
ものごとの『過程』を楽しむ人生を送りたいと考えているところです。