仙台コンクール訪問から少し時間が経ってしまいました。
その間、コンクール関連では先週はピティナの特級の審査をさせていただいたりしていました。あれからたくさんの人の演奏を聴きながら、何かといろいろ考えることがありました。
一つは、演奏における個性とは何だろうかということ。
コンクールでは、楽譜に忠実な演奏をした方が、個性がほとばしっている演奏よりも結果的に良い点がついたりします。では、テクニックが完璧で真面目な演奏をしている人が、必ずいつも最上位に入賞するかというとそうとも言い切れない。
先日の仙台国際コンクールでもいろいろ思うことがあって、実は原稿を出さなくてはいけないので今書いているのですけれども、面白いことを書こうかと思っていたのだけど、意外に個性的ではない普通っぽい文章にまとまる可能性もあるかな、と思ってきました。そのほうが高い点がもらえるのではないかと…。(笑)
どちらにしても、コンクールの存在というものはやはり大切だとは感じます。これだけ身近に多く存在し、人々が強く関心を持つものは、やはりなくてはならないものなのでしょう。ただ、コンクールのあり方自体は時間とともに微妙に変わっていくな、という感じは強く受けます。
どんな分野でもある種の競争は必要ですし、必ずしもギスギスする必要はないのであって、祭典という意味ではコンサートとほとんど変わらないし、多くの人の注目が集まる場、演奏する人にとっては自分を磨く場であるという意味でも同じです。コンクールのレヴェルがどんどんエスカレートして高くなっていくことも、決して嘆くことではなくやはり喜ぶことだと思います。楽しむことと競争することは違う、と分けて考えるべきではない、と感じます。
今日は珍しくコンクール擁護論者になってしまいました。いや、人類ははるか昔から連綿と、どの分野でも良い意味で競争し続けてきたのだから…、だからコンクールがなくなっても、やはり別のものが出てくるだろうと予想できます。