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ペダリングについて(2)

ペダリングは、演奏者によっても意見が分かれる場合があります。例えば、あまりペダルを使わなくても弾けるという意味から、モーツァルトの曲は小さい子に好んで取り上げられます。これを良いと考えるか、それとも仕方がないと考えるか。「モーツァルトは難しい」ということは、一般的に知られているところです。音楽的感性を身につけることを考えると、本当はモーツァルトだってある程度の年齢になってテクニックがついてきたら私は早めにペダルの可能性を探り始めた方が良いと思うのです。もちろん、最近は子供に早い段階でペダルを使わせる先生が少しずつ多くなってきました。以前は、「下手にペダルを使う」生徒は、コンクールなどでは不評を買ってしまうことが多かったのです。ペダルを使わない方が「端正な演奏」として好まれる傾向にありました。ところが、時代(たぶんトレンドなのでしょう)が変わり、今では高性能な「ペダル付き足台」が国内にたくさん普及しているのを見てもわかるように、小学生でも皆うまくペダルを使うことができるのです。だから、子供のためのコンクールでは、もう同じ曲ならペダルを使った方がうまく聞こえてしまうし、大人っぽい演奏として評価される傾向にあります。(この感覚は、今でこそ普通になりましたが、少し前までは本当にまったく逆だったのです!)

ウィーンの伝統的な奏法では、モーツァルトのピアノ曲の演奏には(ハイドンやシューベルトも同じですが)ペダルを多く使うのを好みます。メロディーの“良い響き”は、はっきり言ってペダルを伴った響きからしか得られないということがあります。まったくペダルを使わずに、よく通る美しい音を出すには限界があります。例えば、KV545の有名なハ長調のソナタの冒頭。この曲は、比較的初期に勉強する人が多いので、ペダルの技術があまりない段階でやってしまうことが多いでしょう。この曲の冒頭、右手のメロディーの「ドー」を歌うのにあなたはペダルを使いますか?(左手のドソミソ1回分です) 本来は当然使うべきでしょう。ピアニストは無意識にペダルを踏んだり離したりしてきれいに一つのメロディーラインを歌い上げるはずです。しかし、おそらく子供はこの場合は使わないでしょうし、先生もメロディーの音色という観点からペダルを駆使させて弾かせるという発想はあまりないでしょう。ペダルなしでも一応弾けてしまうのですから。

一度面白い光景を見ました。外国(ウィーン)の先生による公開レッスンでのことです。ペダルを使わずにモーツァルトを弾く子供の前で、その先生が模範として素晴らしい音を出して見せたのですが、実はその音色を出すためにペダルを踏んでいました。「これはちょっとずるいのはないか?」と私は思いましたが、その子供はいくらタッチを真似してもそれと同じ音色を出すことはできませんでした。

…種を明かせば、私が上の文章で「子供」と書いたのは、なんと「大学生」のことなのです! それほど、ペダルというのは盲点になっているわけなのです。

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