クラシック音楽をやっている人にとって、楽譜は大切なものです。それは、「作曲家が残してくれたものは楽譜だけ」という状況が背後にあるからです。ピアノを学ぶ人は、普通は小さい頃から楽譜を読めるようにならなければならないし、楽譜をいかに正確に読み、いかに楽譜に忠実に弾くかというのがメインの勉強であることが多いでしょう。これは正しいことでもあるのですが、疑問を持たずにいると弊害をもたらすこともあります。つまり楽譜に頼りきってしまう習性がついてしまい、楽譜があればなんでも弾けるが楽譜がなければ何も弾けない。あるいは、「暗譜」がなにか特別なものとなってしまい、暗譜するのが遅い、あるいは暗譜で弾くのが怖いということが起こります。
本来、演奏というものは自分自身の中から何かが出てこなければならないわけです。決められた台詞を覚えて喋るのではなく、自分の考えを自分の言葉で語るのは気持ちが良いものです。演奏もそれと同じはずです。例えば、ジャズの演奏にはいくらかそのようなものがあります。完全に即興演奏とまではいかなくとも、ある程度まで自分の言葉で喋るというか、自分の中から出てくる語法や感性を重視する部分があり、その場で音楽を作っていく楽しさがある。楽譜があったってもちろん良い訳ですが、逆に楽譜なんかなくても音楽を奏でることができる。自分の楽器をそれだけ乗りこなしているということでしょう。ピアノであれば、よくコード進行(又は和声進行)を理解して、耳ですべての音を聞き分けながらその場で自分の求める音を生み出していくというようなことができる。ジャズ・ピアニストにはとんでもなく難しいことができる人でも楽譜があまり読めないという人がいて驚くことがあります。つまり、良い演奏ができるなら本当は楽譜が要らないかもしれないということです。クラシック音楽の世界から楽譜を取ったら「終わって」しまうでしょうが、でもそのようなジャズ演奏家たちにも学ぶべきことがあります。まずできることは、楽譜は覚えたら早く離れてしまうことです。音楽を目ではなく耳で覚えること。暗譜を忘れても、耳がその音を求めていれば指はちゃんとその鍵盤を探し当てることができるはずなのです。その能力を意識して養ってこなかったために、楽譜に頼りきってしまうというパターンの人が多いと思います。
天才的なジャズ・ピアニストの演奏を聴いているうちに、私は暗譜に対する考え方が変わってきました。暗譜は、それほど難しいものではないと。「暗譜をするべきか?」などという疑問を呈したこともありましたが、音をきちんと理解して覚えていれば暗譜はそれほど大変なことではないと思うに至りました。トップのジャズ演奏家たちの方がよほど信じられないことをたくさんやっているように見えます。逆説的なことですが、即興演奏の観点から音楽を見ることができるようになったら、不思議なことに楽譜を覚えることが以前より楽になってしまいました。しかも、一度しっかり覚えた曲であれば、長いインターヴァルをおいても再現するのにあまり苦労を感じなくなったのです。記憶力はいっそう衰えていって良いはずなのに、人間の能力というものは総合的には上がり続けるものなのだなと改めて感じています。