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ピアノの先生は必要?

ピアノの先生の仕事とは何だろうか?と考えることがあります。
ピアノは一人でも練習できることはできるし、楽譜が読めるならば弾ける人にとっては先生は必要ないのでは?という考えもあるかもしれません。
逆に、ピアノを教えている先生にとって、生徒に何を教えなければいけないのか、教える内容に圧倒的な価値が含まれていなければレッスンを授ける意味がないですから、そのあたりについて考えてきたことを書いてみたいと思います。

ピアノの先生不要論を説く前に、私は以下の3つの点においてピアノの指導者はやはり必要ではないかと思います。逆に、指導者としてはこの3点についてよく勉強しておくと良いと思います。レッスンで、よく弾ける生徒に対してもう言うべきことがないと感じられる場合も、下の2番・3番の点に関しては限りなく勉強の余地があると言えると思います。

1.奏法に関すること(基礎)
2.奏法に関するさまざまなノウハウ(専門的なこと)
3.楽曲の背景知識や解釈に関すること

この3つは、どの楽器の指導者にも共通するものかもしれません。
楽器の勉強を続けるということには、もちろん精神的なことに関する指導も大きなものがあるかと思いますが、それを抜きにして、まず技術的なことについて考えれば上の3つが大きいと思います。

まず、1番目の「奏法に関すること」。これはどんな楽器をやるにしても、最初はまったくゼロの状態からやるわけで、手ほどきが必要になります。多くの場合、小さな子供に教えることから始まりますからこのことは当然です。
楽器の扱い方、音の出し方、知識的・経験的の両方から楽器に慣れていくプロセスがあります。また、楽譜の読み方の指導もあります。これについても基礎的なことだけでも多くの量があります。楽譜の読み方には、楽譜の解釈に関する知識も必要です。指使いも、基礎的なことだけでもある程度の経験を積まなければいけないし、タッチや脱力の技術も基礎的な指導事項に入るでしょう。

2番目の「奏法に関するさまざまなノウハウ」ですが、これは基礎から始まってさらに発展的な部分です。学ぶ曲が難しくなってくると、技術も高度で多様になってきますし、曲によって特別の奏法が出てきたりもします。また、ピアニストや専門家の立場から見てより良い奏法のアドヴァイスも出てくるし、上手く弾くための奥義みたいなものもさまざまあるでしょう。例えば、装飾音やトリルの扱い方も難しいものです。また、いろんな演奏家の映像を観て勉強したり、専門家同士の知識の交換から得られる情報まで含まれますから、この部分に関してはかなり深いものがあると思います。このように、楽譜を一人で見ただけでは得られない情報がやはりあります。

3番目の「楽曲の背景知識や解釈に関すること」では、楽譜を離れた勉強が必要です。作曲家の伝記や著書を読んだり、曲の解釈についてのさまざまな専門書を読んだり、あるいは演奏家や音楽学者による研究についても勉強するべきことがたくさんあります。また、ある曲が作曲された経緯について知ると、演奏解釈や音楽の感じ方に違いが出てきますし、留学して外国の作曲家の生まれた場所や育った場所、あるいはその国特有のものなどを勉強して初めて見えてくるものもあります。指導者は、そのような知識の中から生徒に教えるべきことがたくさんあります。

このように、ピアノの先生には専門的に教えなくてはいけないことだけでも大きな役割があると思います。
上の3つに関して言えば、生徒が独学しようと思ってできる部分もかなりあると思いますが、これらは経験が多いほど深くなっていく部分もありますから、先生が生徒の何十倍も勉強していれば、指導すべきことは無限に出てきます。

この上で、楽器に向かう姿勢(精神的なこと)や本番の迎え方。また、楽器を続けていくことの意義、音楽を演奏することの意味やその素晴らしさなどをどのように伝えていくかということ。あるいは、ある音楽についてどう思うか、どんな音楽活動をして何を目指したいのか、など、職業としてプロになるかならないかは別として、指導者は生徒たちに大きな影響を与えていくことになります。

ピアノ指導者のあり方を少し考えてみました。
いつかもっときちんとまとめてみたいと思っています。

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