公開録音のコンサートというのは、なかなか演奏者にとっては厳しいものがあります。NHKの「名曲リサイタル」などもそうですが、広めのスタジオに聴衆を招いてのライヴ・コンサート形式で、司会とアーティストで行なうトークを挟みながらのコンサート。一回きりの本番が録音されたものが収録され、後にオンエアされます。あれは本当に緊張を強いるものです。
先日紹介したピティナの公開録音コンサートも似たような環境で、それほど広くない空間で聴衆が「目の前に座っている」状況で演奏して収録されるというものです。特に、カプースチンのような楽曲では、演奏者に通常の曲以上に集中力や技術が要求される酷なものではあるでしょう。
ライヴでは、演奏者にはある瞬間に集中的にエネルギーを投入する能力が必要です。ただ、これは人によっていくらか得意不得意があって、CD録音などで同じ曲を何度も続けて録音する場合、最初に演奏したものが一番良いテイクになる傾向が強い人と、最後に演奏したものが一番良いものになる傾向が強い人がいると思います。ライヴでは一点集中型のエネルギーの使い方が大事ですが、CD録音などの場合は、エネルギーが最後まで切れないように「エネルギーを持続する力」と、何度も本気で演奏できる「集中力」の両方が必要になります。
今月、辻井伸行君の「ショパン:ソナタ第2番・第3番」というCDがリリースされました。

「ぶらあぼ」12月号のCD評にも載っていましたが、嬉しく読ませていただきました。その評には、例えばソナタ第3番に対しては、「…このソナタに驚くほど新鮮な息吹と奥行きとを与えている」とか、第2番には「謎めいた4楽章の美質を、これほど明瞭に伝えてくれる演奏は今までになかった」などと書かれていたことです。これは私にとっても嬉しく思える記述でした。
この録音にまつわるエピソードを差し障りのない程度に紹介したいのですが、第3番は2005年のショパンコンクール出場の際にそれに向けて準備していたレパートリーの一つだったので、かなり時間をかけて音楽的に成熟していったものでした。辻井君の本にも書いてあるのですが、このソナタ3番の1楽章が予備予選のくじ引きで当たったことをきっかけにして運が向いてきたという話もあったと思います。彼にしてみれば、思い出の曲の一つであり、また思い入れのある曲でもあります。第2番のソナタは今年の「プレミアム・リサイタル」シリーズでレパートリーに入った曲で、この7月に紀尾井ホールでのライヴを録る際に、ドイツからやって来たディレクター氏も交えて同じ日の直前のリハの時間に録ったものです。
ディレクターのフリーデマン氏がこの日の録音でこだわったのは、2番のソナタでは意外にも第3楽章(葬送行進曲)と第4楽章でした。ライヴ本番前のCD録音がどのように進められたかは興味のある人もいるでしょうが、その日フリーデマン氏は特に第3楽章のテンポのことではずいぶんダメ出しをしていたので、辻井君がそれに耐えられるか私も少し心配してしまいました。やはり、CD録音となるとアーティストとディレクターの双方の納得というものが大事なので、演奏上、あるいはホールの響きなどの関係で細かい微調整は最後まで必要なのです。実際、その甲斐あっての出来栄えになったと思います。第4楽章は辻井君は何度弾いても指の動きはほぼ完璧ですが、ペダルの微妙な扱いについてはフリーデマン氏の要求もいろいろとあって、非常に細かいリクエストもいくつもありました。ピアニストにとっては、研ぎ澄まされた神経と、摩耗されない神経と、その両方が要るという感じです。
しかし、フリーデマン氏はあれだけの要求を迫ったにも関わらず、辻井君の演奏(4楽章)について「ただ、あれだけ弾けること自体、普通ではない。私はこれまでいろんなピアニストを聴いてきたが、あの4楽章をあんなふうに弾けるピアニストを知らない」と私に漏らしたので、私は同感で「あー、さすがに分かっているのだな」と彼に対して一目置いたのも確かです。その他にも、非常に辻井君のことを深く分かった上で的確な指示を出していることに安心もしました。
ただ、本番直前にあれだけ神経を擦り減らされる集中力を要されるというのは、ピアニストというのは本当に大変なものです。アーティストによっては文句を言うかもしれないとも思いました。でも、辻井君は決してそういうことはしませんでした。
とにかく今回のショパンのソナタのCDは私も少し関わっていたので、良いものが出来上がって良かったなと思っています。エイベックス・クラシックスさんに感謝です。