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カプースチンからの手紙[第1回]


私は、生前のカプースチンと2004年2月から約15年にわたってメールのやり取りをしてきましたが、その内容の一部は著書を執筆する際に生かしたものの、ほかにはあまり公開してきませんでした。でも、あらためて今カプースチンの人気が高まり、多くのファンたちが作曲家カプースチンのことについてもっと知りたい、人としてのカプースチンも知りたいというニーズが出てきているように思うので、少しずつ過去のメールを紹介したいと思いました。

まずは最も初期にやり取りをした2004年のメールの一部から紹介します。

[2004年4月7日]

「~前文省略~
 あなたが日本に帰った後に私はOp.121を完成させて、あと『プレリュード』の半分は片付けたよ。 ~中略~

マサヒロ、あなたの『タランテラ』の提案には参ったな~! 私が思うに、20世紀になってもう100年も誰も『タランテラ』なんて書いてないよ。19世紀の終わりでもう人気がなくなったのだよ。まあ作曲を試みるだけはやってみても良いかもしれないけど。ところで、バラキレフの『タランテラ』は聴いたところ決して易しくないと思ったよ、まったく正反対だ! 『イスラメイNo.2』と言ってもいい難しさだ(リズムもね。)

今後Eメールで楽譜の校正を一緒にやっていこうというあなたのアイデアには賛成だ。もし楽譜を用いて説明をする必要が生じた時はファックスでやり取りをしよう。臨機応変に決めていこう。

ところで前から尋ねようと思って忘れていたのだが、Zen’on(全音)とはどう意味だ? ”on”はたぶん「音」だよね。それでは”Zen”は?


それではごきげんよう。アッラからもよろしくとのこと。
N. カプースチンより」


少し長く抜粋しましたが、カプースチンからのメールはまあこんな感じです。この時期はちょうど日本の全音楽譜出版社から初めての楽譜が2点出版されることが決まって、『8つのエチュード』の次に『24のプレリュード』の運指書き入れを私がお願いしたところで、「半分は終わった」というのはその運指書入れの作業についてです。カプースチンはお願いしたことは本当に何でも嫌がらずにやってくれました。

上のメールをやり取りは、ちょうど私がモスクワに彼を再び訪ねて日本に帰って来て1週間ほど経った頃で、楽譜の出版企画を進めて編集作業をカプースチン本人と一緒に始めたばかりの頃です。当時はメールとファックスを使ってモスクワと東京で連絡を取り合っていました。なぜか向こうにメールが届かないことがあって、そんな時はまだファックスを使ったりしていたこともあり、けっこう楽譜の編集作業は苦労しました。

メールの中の「タランテラ」のくだりですが、私がカプースチンにバラキレフとメトネルを演奏した自分のCDを聴いてもらった際に、バラキレフの『タランテラ』のような、あるいはもっと斬新な(?!)タランテラをカプースチンに書いてほしいとお願いしたことがあったのです。彼が求める音楽のスタイルとはまったく合わなかったにもかかわらず、優しく対応してくれているのが今では懐かしく有難く思います。考えてみれば、カプースチンにはかなり失礼なこともたくさん言ってしまったなーと今では思います。

こんな感じで、今後定期的にカプースチンからの手紙を少しずつ紹介していこうと思っています。


ところで、先日「カプースチン祭り2024」の第1部へのエントリー申し込みが始まったと書きましたが、なんと告知開始と同時に申し込みが殺到して、およそ13分後には一杯になって打ち切ってしまったということです。ものすごい速さですね。たった13分で、およそ2時間分のプログラムのコンサート(休憩を含む)の演奏者が埋まってしまったというのですから。とにかく、来年のカプースチン祭りもまた本当に楽しみになりました。

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