
[2006年6月6日]
「親愛なるマサヒロ!
返信にこんなに長く時間がかかってしまったのは、私はアッラと一緒にモスクワを離れてウクライナに出かけなければいけなくなったからなのだ。向こうには姉が住んでいるのだけど、現在彼女の体の状態がとても悪くなってしまったようで。
さて話を大事なことに戻すが、とにかく私の音楽を広めるためにそのような途方もない活動をしているあなたに本当にありがとうと言いたい。それはきっとほとんど報われないだろうに。
アントンのことだけど、そう、もちろん彼は私の息子だよ(長男で34歳)。彼は物理学の理論家で、彼にとって一番大事なテーマは「超ひも理論」だ。彼も世界のあちこちを飛び回って講演し、あなたと同じように非常に活発な生活を送っている。
本当にいろいろありがとう。
6月11日以降にあなたのメールを待ってるよ。
ではお体に気をつけて。
N. カプースチン」
前回から少し投稿が空いてしまいました。
なるべく時系列的に紹介していきますが、まだ現時点で2006年に交わしたメールです。カプースチンのそのこの頃の様子がわかるのですが、このようにいろいろ家族のことを書いてくれたりもしていました。
私のほうも、おもに日本でのカプースチンの音楽の普及に関わるイベントやトピックは、カプースチン本人になるべくたくさん伝えるようにしていました。その頃はまだ数えるほどしかカプースチンの演奏をする人はいなかったのです。楽譜の日本での普及状況や目立った演奏会(もちろん自分の活動を含む)については細かく情報を提供していました。まだYoutubeなどが普及していない時代です。
長男のアントンさんのことは、このメールで初めて言及されたかもしれません。彼はすでに数学者・物理学者として最先端の研究をされて活躍していたのです。カプースチンのメールにはその後アントンさんがたびたび出てくるようになります。彼は後年のカプースチンのピアノソロ作品のタイトルを考え出すのに貢献もしました。
カプースチンの手紙はとても人間性に溢れるものだし、また音楽の専門的な話も作曲家ですからとても興味深い内容が多かったので、ぜひ彼と交わした15年分のメールを紐解いていきたいと思っているのですが、いったい合計何百通あるかわからないほどの量なので、どこまで到達できるかわかりません。
とにかく私には家族の一員みたいに何でも書いてくれて、今考えるとちょっと信じられないくらいの信頼を置いてくれていました。そのありがたみを今さらながら噛みしめています。