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ベートーヴェンのピアノ曲

振り返ってみるに、かなり長い間カプースチン漬けだったので、また新鮮に音楽を捉え直す目的で少し意図的に離れてみようと思っています。(とは言っても、一日に1曲くらいはやはり弾いてしまったりするのですが…。) 離れるためにどちらの方向へ行くかといえば、純クラシックの方向、もしくは純ジャズの方向という両極端になります。

今日はホールで学生たちの演奏を立て続けに聴きました。ピアノ科の世界には、少々異様ですが「音大レパートリー」とでもいうべきものが存在します。よく聴く曲は、レッスンでも試験でもコンクールでもすごく聴く機会が多いのに対して、まず滅多に聴くことのできない曲というのもあります。まあそれは良いのですが、どちらにしてもアカデミックな世界にいると、ハイドンやモーツァルトなどの古典派レパートリーというのは絶対に消えてなくならないもののように思えることは確かです。ベートーヴェンが素晴らしいのは、やはり交響曲を聴いた時に強く感じます。亡くなった岩城宏之さんが先日のテレビ番組でも語っていましたが、彼も知られざる曲を初演をしたりさまざまな作曲家を演奏してきたけれども、年末のベートーヴェンの交響曲全曲を一晩で振るという経験で、自分自身がベートーヴェンに癒されたのを感じてびっくりしたというようなことを言っていましたが、本当にその通りだったのだと思います。

ベートーヴェンはオケで聴くと本当に素晴らしいのですが、ピアノ曲になるとそれほどの深みを感じないのが不思議です。ピアノでの演奏はやはり難しいといえます。例えば「田園」にしても「第九」のテーマにしても、和声進行は現代から見ると恐ろしいほど平坦で単純です。「運命」だってそうです。ほとんどテーマは和声機能上ⅠⅣⅤとその展開形だけで成り立っている(笑)と言っても過言ではないほど単純なのですが、それにもかかわらず音楽はとても雄弁なのです。ところが、同じものをピアノで弾くと印象ががらりと変わります。(つまりインスピレーションに乏しいものになります。) きっとベートーヴェンの求めているものは、オーケストラによってより正確に再現される性格を持っているのだと思います。ある意味で対極なのは、バッハの音楽です。もちろん時代も少し違いますが、バッハの作品は楽器の指定があいまいなものもありますし、当時の楽器でも現代の楽器でも通用する、どんな楽器でも音楽の本質をそれほど損なわずに演奏できるものが多いように思えます。

ピアノのために書かれた曲は、どの作曲家のものでも、個性は違えどもそれなりにピアニスティックな部分(ピアノにこそふさわしい!と思う部分)はあるものですが、ベートーヴェンのピアノ曲に対してはどうしても物足りなさを強く感じます。結局、彼の作品の良さをピアノという楽器で再現するためには、イマジネーションと表現力でカバーするしか方法はないのでしょう…。

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