今日は新潟に行ってきました。
まだまだ終わることのない、カプースチンの素晴らしさを広める仕事です。現代作曲家がきちんと知られていくには時間が必要なのだなーと強く感じます。でももし広げる人がいなかったら数々の傑作が知られずに埋もれていくわけですから、それだけは許せないな、という気持ちで延々続けていきたいと思っています。少なくともカプースチン音楽の需要はこれからも膨らんでいくと感じています。
現代作曲家に限らず、過去の作曲家の作品だって、没後50年以上も経ってから世の中に認められた作品もあるし、新たに今でも掘り出される作品があるくらいです。
ましてやカプースチンに関しては、知っている人は知っていると言っても、公開されているのは全作品のほんの一部で、まだ見えないところに宝の山がごっそり隠れています。それら全作品に対して、作曲家自身はやはり愛着を持っているということが、先日のモスクワ訪問でもはっきりとわかりました。作曲家と話をしていて、例えばほとんど知られていない6曲のピアノコンチェルトにしても、そのそれぞれに対して強い愛情を持っていることが感じられました。その他にも作品はたくさんあります。
今日の講座を終えて、話の中でも喋ったことなのですが、もうカプースチンのソナティナop.100と例えばクーラウかなんかの古典派ソナチネを両方並べて聴いてみて、カプースチンのソナティナのほうがより自然に聴こえるという人がいてもおかしくないと思いました。
つまり、ジャズもポップスもロックも映画音楽もいろいろ聴いてきた現代人の肥えた耳には、古典派の限られた語法で書かれた音楽のほうがとても制限されて窮屈な音楽に感じることもあるだろう、という気がするわけです。
クラシックのピアノの勉強においては、実は4期(バロック・古典・ロマン・近現代)という考え方もあるのですが、近現代と括るべき音楽は110年くらいにもまたがっていて、他の3期より重要度が低く設定されている感があります。クラシックの伝統はもちろん素晴らしいことは否定しませんが、バロック・古典・ロマン派にあまり引っ張られすぎると、逆に不自然な感性が身についてしまう可能性もあります。私が子供の時代には仕方がなかった面もあると思いますが、それでも2〜30年前です。その頃は、教材も情報も格段に少なかったから仕方がありませんが、現在ではそういう偏りを超スピードで克服していかなくてはいけない時期が来ていると考えます。かなり追いつけモードでやってはおりますが、それでも「ちょっと遅いかなー」と感じているところです。