どうやらモスクワのカプースチンに新刊楽譜の見本誌が届いた模様。
作曲家ご本人と久しぶりに連絡をとることができて私もハイテンションです[:にかっ:]
新しいピアノアルバムかなり気に入ってくれた様子。
カプースチン:「以前のよりもあらゆる意味でクオリティが上がりましたね。装丁も明るく楽しい感じだし。特にあなたが書いてくれた第一級の解説は気に入った。非常に興味深く読ませてもらいましたよ。どうもありがとう。」
と、有難くも嬉しいお言葉を頂いて、胸を撫でおろしました。
一字一句を読まれてしまうので、英訳チェックもやっぱり一応念入りにさせていただいて良かった。
こういう仕事って、結局忙しい人たちばかりでなされるので、最後の最後まで気を抜けなかったのです。でも今回の英訳は鮫島さんとTim Gill氏という黄金のコンビだったので、私の労力はこれでも最小限で済んだはずです。
カプースチン作品はまだまだ世に問い続けなければいけないので私もまだまだ忙しい身ではあります…。
冒頭の段落でaddressされているissue、とても興味深いです。
ピアノを職業として成立する層が厚くなるためには、これは供給側ですから、消費の拡大が必要ですよね。ピアノ音楽の「消費」とは何かを考えると、演奏を生で/録音で聴く行為と自分の愉しみのために弾くのも然り、またその延長としてのアマチュアのコミュニティ、さらには最近主催者も参加者も拡大しているコンクール/コンペティションもあります。楽譜や楽器そのものも消費の一部でしょうし、さらにはこれらに派生した消費形態もあるかもしれません。きわめて多様です。
消費側のニーズに立脚して考えれば、この世界で独占や寡占を狙うのでない限り(狙わなくても少なくとも個人としては十分に職業としては成立する規模でしょう)、自分を差別化することは
(続きです。字数制限でカット?)
十分可能だとおもいます。音楽の世界に限らずニーズが多様化・細分化されていく世界において、マーケティングのあり方が根本から変わってきています。
自分が本当に表現したいことは何か、それが訴求すべき層は誰なのか、をそれなりに追求すればいいのです。もっと(いい意味で)演奏家・音楽家はエゴを丸出しにしていただきたいとおもいます。
また、派生的にはプロとアマの境界も曖昧になってきているのかもしれません。特に音楽においては消費と供給の境界も微妙な部分がありますし。