
[2005年12月27日](後半部分)
・・・ピアノソナタ第13番については、私は最近の自分のCD録音が終わってから、ピアノの小品を続けて作曲していこうと決めたんだ。それは実行していたのだが、その流れで2曲のソナタ(第13番、第14番)が出来てしまった。Op.110(第13番)は、先に言ったように順番に小品を作曲していたのだが、すぐに私はそれが残念なことにソナタになってしまったことに気がついたという次第だ。最初の3つの楽章はモスクワの自宅で、フィナーレ(第4楽章)は郊外のダーチャで書いた。あなたが言ったように、このソナタのスケルツォ(第3楽章)はベートーヴェンの初期のソナタのスケルツォ(真ん中にTrioを持つ)に何かの影響を受けているかもしれない。
Vanity of Vanity(Op.121)は小さなロンドだ。Op.122とOp.123は私よりあなたのほうが良く知っているだろう。私はもう完全に忘れてしまった。ひょっとしたらいつかもう少し詳しく書くことができるかもしれないが。
実は今、私とアッラは楽しい時間を過ごしている。カリフォルニアから息子が来ていて、二番目の子供(彼は3歳半だ)を連れて来たのだ。彼は手に負えない暴れん坊で、家の中が地獄に変わってしまった!
そうそう、私たち夫婦は新しい2006年もあなたに大きな成功と健康が訪れるようにお祈りしています。
ニコライ・カプースチン」
前回のメール後半部分の全文です。
私はよくカプースチンの作品が生まれた経緯について本人に質問をしていました。そしてカプースチンは必ず質問には答えてくれました。ある曲は作曲されてから数十年も経っているので覚えていないこともあって、そういう時は「また思い出したら書くね」という感じでしたが、それでも嫌がらずに丁寧にいろいろ教えてくれました。上のメールは、ちょうど私がこのメールの数カ月後にオール・カプースチンのソロリサイタルを控えていて、Op.122の2つのエチュード風の小品やOp.123の『ブルーボッサ・パラフレーズ』などいくつか世界初演を含む公演の準備をしていたので、それらの作品について少しでも作曲者本人から情報が得られればと思っていろいろ伺っていた時期でした。
メール本文のように、彼は作品のことのほかにプライベートな家族のことなどもこんなふうに書いてくれて、本当に何でも気軽に話してくれました。メールの中の息子さんというのはもちろん高名な物理学者になったアントンさんのことです。小さいお孫さんがとても元気に振る舞っているらしく、そんなカプースチンの家の中が透けて見えるようでした。人間的なカプースチンを垣間見ることのできる瞬間です。