
[2006年6月15日]
「親愛なるマサヒロ!
今現在、私が何を作曲しているかをあなたにもう教えたかどうか忘れてしまった。あるいはまだだったかもしれないので、”Blue Bossa”以降に書いた作品を以下に書いておこう:
Op. 124 チェロのための組曲
Op. 125 フルートとピアノのためのソナタ
Op. 126 ヴァイオリン、チェロ、ピアノのためのディヴェルティメント
Op. 127 ファンタジア・クワジ・ソナタ(ピアノソナタ第15番)
Op.128 ピアノ小品(まだタイトルなし)
Op.129 ディジー・ガレスピーのテーマによるパラフレーズ“マンテカ“
Op.130 カウンタームーヴ(ピアノ小品5‘30“)
Op.131 ピアノソナタ第16番
ソナタ15番を注文してきたのはジョン・サーモン氏(アメリカ)だ。彼は自分のCD録音のために必要だったというのだが、その後CDがどうなったのかはわからない(彼はまだ沈黙中)。私は彼から「1年間は誰にもあげてはいけない、見せてはいけない」と言われている(すでにもう半分は過ぎた)。
“マンテカ”は高沖氏にお願いされて書いた。
Op.130はマルク(アムラン)に書いた。Op.128の楽譜も彼に送った。
今はソナタ16番の浄書をしているところだ。このソナタはブルガリアのピアニスト、リュドミル・アンゲロフのために書いた。ただこれは”委嘱”されて書いたわけではない。
ということで、今のところ『ソナタ第15番』だけがまだ外には出ていないというわけだ。
私は、マルク(※アムラン)が言った、私の作品だけで一人でコンサートをするなんて偉業に値する、という言葉に同意する。一体どんな方法でそんなことができたのか、あなたは英雄だよ!
私の息子のアントンの話だが、彼は学術論文を19歳の時から雑誌に書き始めた。アメリカでは物理学者は哲学博士(Doctor of Philosophy)と呼ぶのだが、彼は25歳で哲学博士になった。
私はあなたのためにも何か曲を作りたいと思っているのだが、今はひどく疲れていて頭が働かない。
ごきげんよう。
N. カプースチン」
この時期カプースチンは多作だったことがわかります。このように現在進行形でカプースチンはその時時の作曲状況を私に教えてくれていました。今考えれば、上の作品リストは宝の山ですね。これらのほとんどの作品はすでに世界のどこかで演奏されたり録音されたりしています。フルート・ソナタやOp.128の小品など、私がCDに世界初録音した作品もあります。その後、カプースチン本人がCD録音した作品もあります。例えばOp.130などは献呈されたアムランより先に作曲者本人が録音しました。
委嘱されて作曲された作品だけは1年間楽譜を見せてもらえませんでしたが、それ以外の作品はお願いすれば全部私に送ってくれたことを思い出します。あと、このメールでもすでにほのめかされていますが、その後私に作品を2曲(Op.137,138)献呈してくれることになります。
余談ですが、息子のアントンさんは若い頃から本当に優秀だったのですね。カプースチンにとっても誇らしい息子さんだったことと思いますが、早くからアメリカに渡ってあちらでずっと住んでいたのできっと寂しかったことでしょう。カプースチン自身も物理学には興味があったということですし、逆にアントンさんは音楽に興味を持っていたようです。アントンさんにはいずれ会いたいなと思っています。